光る鬼


 村人たちも生贄をよしとし、鬼たちはカブキの裏切りと村人たちに愛想をつかしてそれぞれの住処に戻った。
 ただ一人村に残った響鬼を豪炎魔剣が襲う。なかば自棄になった歌舞鬼が火焔大将とともに響鬼を攻撃したのだ。ヒビキは轟鬼から変身音叉を返してもらったにもかかわらず、なぜか変身しようとしない。
「歌舞鬼ーっ!」
 そこに明日夢が猛士の短剣を持って現れた。切っ先をヒビキの胸に向け、揺らぐことなく一直線にヒビキに歩み寄っていく。
「ほぉ、おもしろい。兄の仇を討とうってわけだ」
―――違うだろカブキ。あいつがそんなことするわけないってお前もわかってるだろう?
 明日夢はヒビキの首筋に当てていた短剣をくるりと返し、ヒビキに渡した。
「戦ってください、ヒビキさん」
 明日夢は恨みを捨てた。猛士の短剣が、渡すべき相手に渡った瞬間だった。
「馬鹿めが!」
 すぐさま歌舞鬼が斬りかかる。が、戦う覚悟を決めたヒビキの動きは先ほどの比ではない。
 そして腰から変身音叉・音角を抜き、猛士の短剣と打ち合わせる。凛、と澄んだ音色が空気を震わせ、ヒビキが紫の炎に包まれる。
 ――響鬼!
 火焔大将が豪炎魔剣を叩きつけるが、もはや響鬼の敵ではない。剣戟では勝てぬと悟った火焔大将は響鬼と組み合い、響鬼を食おうと口を開く。
 だが噛み付く前に響鬼の口から鬼法術・鬼火が迸る。紫の炎に灼かれた火焔大将の顔はあっけなく爆砕し、残った身体もじたばたとあがいたもののすぐに砂となって崩れた。
 火焔大将を失った歌舞鬼だが、いまだ余裕綽々たる態度を崩さない。音式神・消炭烏を空に放つとひとりでに折りたたまれて烏を象る。そして響鬼よりも遥かに大きくなった。これは呪術に長ける地鬼から伝授された技の一端である。
 響鬼は消炭烏の体当たりで断崖から転げ落ちたが、音式神・岩紅獅子の背にまたがって事なきを得、すかさず放った茜鷹の翼の一撃で消炭烏は破壊された。凄腕と謳われた響鬼もまた、この程度の呪術は使えるのだ。
 だが歌舞鬼も音式神ごときで響鬼を葬れるなどとは思っていない。岩紅獅子とともに疾駆する響鬼の首に、意思を持つかのように鞭が巻きつく。歌舞鬼が得意とする鬼鞭術だ。
 それによって響鬼は岩紅獅子から引きずりおろされて地に叩きつけられ、さらに自由を奪われ歌舞鬼の猛攻を受ける。
 しかし鬼鞭術すらも囮であった。
 響鬼がタイミングを計って反撃を試みた瞬間、歌舞鬼は番傘を現してそれを弾く。その虚を突き、音叉剣が響鬼の腹を貫いた。
「とどめを刺してやる」
 腹の傷を押さえてうずくまる響鬼に、番傘を目隠しを兼ねる盾にして突進する。
 だが、鬼に同じ手は通用しない。
 響鬼は番傘を受けるととっさに半身になり、一瞬遅れて突き出された音叉剣をかわす。
「なに!?」
 今度は歌舞鬼の虚を突き番傘と音叉剣を跳ね上げると、がら空きの腹に音撃棒と猛士の短剣を振り下ろした。
「てやあぁぁぁ―――!!」


 闇に呑まれかけたカブキの意識を引き戻したのは、聞きなれた声だった。
「生意気な子だねぇ。ちょっと齧ってやろう」
 ヒビキとともに村に向かって走ってゆく明日夢の後姿を見て、ゆらりと現れた美女が言う。
―――ヒト、ツ…ミ……?
 小刻みに痙攣する手がヒトツミの脚を捕らえ、半死人とは思えない力で締め付けた。
「子供に……手を出すな!」
 カブキの顔には剥き出しの感情があった。血狂魔党に入ってからは表情を作ることに慣れたカブキだったが、今の彼はヒトツミに容赦なく突き刺さるような視線を向けている。
「馬鹿な奴だ。所詮魔化魍には成りきれなかったというわけか」
 ヒトツミは足下に転がるカブキを一瞥すると奇骸羅帝の姿を現し、ぞぶりとカブキの首筋に噛み付いた。
 噛み切られた首から血が流れ出し、奇骸羅帝の腹を満たしてゆく。奇骸羅帝はさぞ満足だろう、なにしろ大好物の鬼の血なのだ。鎧われた口許が三日月のように釣り上がっている。
 ――弱々しくもしがみついていた手が、ばたりと落ちた。


 カブキは自分が死んでいなかったことが不思議だった。もっとも指一本満足に動かすこともできないのだが、とにかく死んではいない。
 ヒビキに負け、奇骸羅帝に喰われた。それでも生きているのは鬼の治癒力か、魔化魍の執念か。あるいは閻魔に突き返されたのかも知れないな、などと自らを笑う。
 だがそれよりも彼の心を満たしているのは――これまでにないほどすっきりとした気分だった。
 不思議なことに、響鬼と打ち合っているうちにだんだんと心が晴れていったのだ。響鬼と剣を交えるごと、響鬼の攻撃を受けるごとに心を覆っていた黒い霧が、暖かな陽に照らされ涼やかな風に吹かれるように薄れ、消えていった。
―――なんであいつはこんなにも、馬鹿でいられるんだろう?
 この単純な疑問が浮かんだときには既に勝敗が決していたのだろう。身体は勝手に動いたが、頭はずっと取り止めもないことを思っていた。
―――そういや俺もこんな馬鹿だったんだよな……
 嘉介と呼ばれていたとき、チキのもとで一心不乱に修行に打ち込んでいた。その理由はなんだったのか。
―――なんだ、馬鹿って強いじゃねえか。かっこいいじゃねえか。
 その言い知れない心地に呆けているうちに、歌舞鬼は手ひどく負けてしまった。
 受けた傷は深かったが、致命傷ではなかった。油断したのか、救いがたい甘ちゃんなのか、響鬼は止めを刺すことなく去っていった。おそらく、たった一人でもオロチと戦うつもりなのだろう。
 歌舞鬼は鬼の力で傷を癒すあいだ、ずっと色々なことを考えていた。考える意味はわからなかったが、なにか大切なものが戻ってくるような気がしたのだ。
 自分のこと。
 亜沙のこと。
 明日夢のこと。
 ひとえのこと。
 ヒビキのこと。
 鬼のこと。
 魔化魍のこと。


 傷が治ると、カブキは我が家同然となっていた海中の鬼岩城に向かった。そこには童子も姫も、ヒトツミもいなかった。そのまま奥に進み、オロチが棲む場所に踏み込んだ。
 オロチはカブキを一瞥し、それだけで興味を失ってそっぽを向いた。
―――ふん。それならそれでいいさ。
 カブキは恐れることなく変身音叉を手に取り、打ち鳴らした。歌舞鬼に変わると脇目も振らずにオロチに立ち向かい、その腹に音撃鼓・黄金丸を貼り付けて音撃棒で打ち鳴らした。
 まるで効かなかった。
 清めの音が、音撃が放てなかったのだ。
 カブキは血狂魔党に入ると、それまで使っていた黄金丸を封印した。それは使わなかったのではなく、使えなかったのだ。堕落し、魔化魍となった身では清めの音など放てるはずもない。ただの太鼓を叩いているのと同じだった。だから、鬼になったときには音叉剣と烈翠だけを使って戦いの真似事をしていたのだ。
 響鬼との戦いでわずかに正気を取り戻したとはいえ、音撃を放てるほどに戻ったわけではない。堕落の心地よさに身を任せて心身を鍛えることを怠っていたし、第一、砕けた心は簡単には元に戻らない。それた道が、遠すぎた。
 だから、カブキの思いはただ一つだった。
「ああ―――やっぱなぁ」
 心の中にはあれほど荒れ狂っていた憎悪も、感じるべきなのかもしれない悔恨も、かつて感じた哀しみも、すべての感情が虚ろだった。
 ただ涙を流すだけで、心は虚ろなままだった。言い換えれば涙を流せるまでに回復したとも言えるが、それにしても……虚しい。
 だから歌舞鬼はオロチにその身を引き裂かれるときであっても、何も感じなかった。
 しかし、心の中に残っていた『鬼』はオロチに最期の抵抗をした。激痛の中で意識が途切れる寸前に音叉剣でオロチの体に傷をつけ、そのなかに烈翠の頭の鬼石を突き入れたのだ。
 オロチは蚊に刺されたほどの反応も見せなかったが、歌舞鬼はそれだけで満足だった。
―――これで、少しはあいつらの役に立てるかなぁ……




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