揺れる邪悪


 カブキは一人の少年と出会った。いや、出会うべくして出会ったというべきか。
 少年は名を明日夢という。彼のかつての自分のような真っ直ぐさを愚かしく思ったカブキは、明日夢を利用すべく彼の旅の手助けをすることにした。
 明日夢は幼馴染の少女のひとえが魔化魍の生贄として要求され、彼女を救うために鬼を探しているという。その魔化魍はオロチというとんでもない大物で、鬼の一人や二人では――否、鬼が束になっても間違いなく返り討ちにされるほど強力なものだ。
 カブキはオロチのことをよく知っている。なにしろ彼を血狂魔党に引き入れた童子と姫が育てている魔化魍だからだ。
 明日夢の村に鬼どもを集めてオロチに殺させ、そのまま近隣の村々を滅ぼす。これが今回の策だった。


 血狂魔党の魔化魍忍群に命じて明日夢らを尾行させて適当な村に先回りをし、今では組んで行動することが多くなった火焔大将と派手な立ち回りを披露した。豪炎魔剣と音叉剣でことさら大きな音を出して切り結び、適当に勝ち負けがついたら火焔大将が砂に化けて姿を消す。
 すると物陰から見世物でも見るかのように見物していた村人たちが現れて口々にカブキを褒め称える。
「ありがとうございました! おかげで助かりました!」
 変身を解いたカブキにヘコヘコと頭を下げる大人たちに力強く宣言する。
「これでもう魔化魍は現れねぇぞ、安心しろ!」
―――そんなはずがあるわけないだろうが。音撃もしないのに魔化魍が倒せるものか。
 あからさまな作り笑いを満面に浮かべた男が、やせた芋を三つ載せた笊をカブキに差し出した。
―――こんなものが命を張った対価、か……
 カブキがそのうちの一つを手にとって眺めていると、横からその芋を見つめる少年と目が合った。
「なんだお前、欲しいのか?」
 こくり、と頷く。その素直な笑顔にカブキもついつられて微笑み、芋を差し出した。
「ほらよ」
 嬉しそうに駆け寄る少年。しかし……
「やめな! 鬼の触った物なんか!」
 その少年の母親が慌てて走りより、カブキの手から芋をもぎ取ると地に叩きつけた。そして少年を抱きかかえて引っ込むときに隠すことのない剥き出しの悪意を湛えた視線をカブキにぶつけていった。
 瞬間、カブキは頭の中でその母親を百回殺した。
―――ふん。まあいい、ここで暴れたら計画が台無しになっちまう。
 憎悪と寂寞がカブキを包み込んでいた。
「あの!」
 女の声で我に返る。なんたることだ、これしきのことでここまで気を散らすとは。
 用意していたはずの台詞が出てこない。ああ、くそ、なんだったかな…?
「なんだお前ら……?」
 荒涼とした表情にわずかながら別種の感情が混じっているのを、カブキ本人ですら気付いてはいなかった。


 明日夢たちの話は、オロチの計画が順調に進んでいることの裏付けにしかならなかった。そこで鬼を集めることを切り出そうとしたとき、茂みの中から先ほどの少年が現れた。
 カブキにはその目的が手に取るようにわかった。
「おう、やっぱ欲しいんだよな」
 こくり、と頷く。
「来い、来い!」
 嬉しそうに寄ってきた少年に、少しおどけながら懐から芋を一本取り出して渡してやる。
「母ちゃんにバレねえように、こーっそり食え」
 そう言って頭をぐりぐりと撫でてやると、少年は満面の笑みを浮かべながらくるりと背を向けてとことこと去っていった。おそらく、カブキの忠告どおり母親にばれないよう、今からどこか秘密の場所に隠れて食べるのだろう。
 少年を見送る表情はとても明るかった。しかしそれを明日夢に見られ、バツ悪げに笑顔を引っ込めて話を進める。
「さて、行くか!」
 無論、オロチを倒す―――オロチに殺される鬼を探す旅に、だ。
「じゃ、助けてくれるんですか!?」
 ひなこの問いに答えようとしたが、返答に窮してしまった。
「……あぁ、人を助けるのが鬼の役目だからな…」


 最初の鬼はヒビキだ。しかしヒビキと明日夢は何か因縁があるようで、明日夢が一方的にヒビキを恨んでいた。話を聞けば、明日夢の兄の猛士をヒビキが殺したのだという。
 しかし、ヒビキからは人殺しの匂いはしない。それにヒビキが人を殺すような性格でないことは旧知であるカブキもよく知っている。
 おそらく何らかの誤解があるのだろうが、ヒビキはわざと明日夢の感情を逆撫でしているようだった。わざと嫌われ、恨まれて―――何かから逃げているようだった。
 カブキは一応オロチ退治に参加してほしいと言ってみたが、やはり軽口交じりに断られた。
―――どこか似てやがる……誰に――俺に、か?


 最初は明日夢の旅を利用しているつもりだったが、なぜかやがて自分が率先して各地に散っている旧知の鬼たちを訊ねて回るようになっていた。しかも――楽しみながら。この感情は、はたして鬼を葬る好機だからか、それとも他のなにかなのだろうか。
 明日夢のあまりにも幼稚な生き方がもどかしい。ヒビキを恨んでいるのかと思えばそれは兄への情。また素直に悲しみ、素直に喜ぶ。鬱陶しくあり、けれど眩しいような気もする。
 カブキはその感情を錯覚と決め付けて計画通りに物事を運び続けた。
 二人目のイブキは鬼の力を使い戦功をあげて大名になっていたが、あっさりと仲間に加わった。続く蝦夷地のトウキは自ら率先してオロチ退治に参加した。
 それからすぐに明日夢の村に取って返し、歌舞鬼、威吹鬼、凍鬼の三人でオロチと戦ったが、炎を操る童子と姫、そして強大なオロチを相手に実質二人の鬼では歯が立つわけもなかった。
 そして多くの村人にとっては鬼がしゃしゃり出てくることは魔化魍の怒りを買うことと同義であり、迷惑極まりないことだとして三人は村から排斥された。
 実のところ、これはひとえの生贄の儀を先延ばしにしてさらに多くの鬼を集めるための口実を得るための策でしかなかった。
 村を追い出され、とぼとぼと歩く三人のところに突然大凧が飛んできた。よく見るまでもないが、それには人が乗っていた。
「キラメキー! 見っ参!」
 現れたのは名古屋にいるはずのキラメキだった。どこかでカブキたちがオロチを倒すために仲間を探していると聞いて助太刀に駆けつけたのだという。威勢のいいキラメキのおかげでイブキとトウキも意欲を取り戻し、再戦のために仲間を集める旅が始まった。
 今度の旅には村や村人に排斥されたカブキたちの手前、明日夢は堂々と同行することができなかったが、彼らの後をつけることで同行した。そしてそのさらに後ろにはもう一人―――


「てんてんてん、天神様のお祭りだぁ……」
 四人が大阪で蕎麦を啜りながら大泥棒ニシキを仲間に加えようと相談していたが、当のニシキがもうすぐ打ち首に処されるとわかり大慌てで刑場へ走って行った。
「天神、さまのお祭りだぁ……」
 手毬唄を歌いながらそれを眺めていた女の表情が変わる。浮世離れした美貌はそのまま、人形のように生気のない顔から凄惨な微笑を湛える邪悪な顔へ。
 その隣にはいつの間にか童子と姫がいた。
「仕事か?」
「ああ、鬼退治だ」
 童子が女の声で言う。
「鬼? 腹いっぱい呑んでやる、鬼の血をな!」
 美貌が崩れ、本性が顕わになる。即ち、外通魔人奇骸羅帝の顔が。


 四人は首尾よく救出した――というよりほとんど自力で脱出した――ニシキを埋蔵金の嘘で釣って仲間にし、次なる鬼ハバタキの住む博多へと向かった。
 だがハバタキは妻と子供のため鬼の力は使わないと言ってにべもなく断った。しかし、彼の妻はハバタキのことを知り尽くしていた。今でも自分に隠れて鬼の訓練を続けていること、本当は力になりたくてしょうがないこと。
 ハバタキは妻と子に見送られ、一行に加わった。
 六人が戦力について話しながら歩いていると、雄々しい叫びと『ンキィ、ンキィ』という音が聞こえてきた。音のもとを辿ると、そこでは轟鬼がバケガニを相手に苦戦を強いられているところだった。
 すかさず羽撃鬼、西鬼、煌鬼が助太刀に入ってバケガニを倒す。それからトドロキは『オロチ退治』の『お』の字も言わないうちに仲間に入った。ヒビキに頼まれてのことだという。


 カブキ、イブキ、トウキ、キラメキ、ニシキ、ハバタキ、トドロキ。ついに六人もの鬼が一堂に会した。
 しかし明日夢の村の人々は相変わらずだった。何の益があるわけでもないのに人助けをする鬼を信じようとせず、のみならず自分たちが助かるためにひとえを生贄にせよと言い出す。
 カブキが最も憎む種類の、人の屑だ。
 ついに彼の計画が実行された。生業が盗人というもっとも胡散臭いニシキの音撃武器、音撃三角・烈節を盗み出し、ひとえを生贄にせんとして海岸を捜していた男を二人殺してそこにわざとらしく放っておいた。
 案の定、それによって腹の中では鬼を忌み嫌っている村人たちは鬼たちが休んでいた家に火を放ち、攻撃を始めた。
「お前ら鬼は魔化魍と同じだ!」
 竹槍を持って鬼たちを取り囲む者たち、遠巻きに包囲して礫を放つ者たち。総じて愉悦に顔を歪め、鬼に対する悪罵を口にしていた。
 それに対して鬼たちも村人たちに復讐しようとする者たちとあくまで人を守ろうとする者とに分かれた。
 自分に対しても他人に対しても厳しい凍鬼、いささか短気な西鬼、お調子者ゆえ感情の振り幅が大きな煌鬼が報復派。
 人の上に立つ大名の威吹鬼、根っからのお人よしでどこまでも人を信じる轟鬼、妻子を持つ羽撃鬼が人を守るため報復派の前に立ちはだかる。
 歌舞鬼はどちらかといえば浅ましい人間どもを殺したかったが、計画遂行のため威吹鬼らに加わった。
 だがヒビキがいきなり現れてへらへらとした言動で巧みに怒りを削いだことにより、その場は辛うじて大事にならずに済んだ。
 そのとき、魔化魍の呪いで床に伏せっていたひとえの容態が急変した。カブキは明日夢とともにそこに駆けつけ――絶句した。
 亜沙、だった。顔立ちはそう似ているわけではない。けれどその雰囲気、一生懸命生きているが故の美しさというものはまったく同一のものだった。
 この少女は生贄だ、策になくてはならない犠牲だとわかっていた。けれど身体が勝手に動き、懸命にひとえの看病をしていた。ひとえが目を開けたときは本当に嬉しかった。今度は助けることができた、と心から喜んだ。
 カブキを見たひとえの顔が、みるみる恐怖に染まってゆく。
―――まさか。
「お前―――見たのか?」
 ひとえは答えない。しかしその表情がすべてを物語っていた。
 カブキが村人を殺したとき、ひとえは村人と魔化魍双方から隠れるためにそのすぐそばの洞窟にかくまわれていたのだ。
―――そんな、嘘だ……せっかく助けられたのに!
 カブキの心で、ざわざわと闇が蠢いた。
―――殺そう。
 首に手をかけた。
「カブキ……何やってんだよ?」
 明日夢と、ヒビキがいた。
 このとき、狂いなく進行していた計画は完全に破綻した。そしてそれに縋っていたカブキもまた、破綻した。
「は、ははは、ははははは……!」
 哄笑とともに箍が外れ、すべてを淡々と話す。それは理解されず虐げられた鬼の悲鳴だった。
 ひとしきり喋り終えると火焔大将を呼び、暴れ、鬼岩城に去った。
 鬼岩城では童子と姫、ヒトツミ、火焔大将そして裏切りの鬼が顔を合わせた。
「驚いたな、まさかお前が仲間だったとはな……」
 カブキは童子の皮肉にも眉一筋すら動かさなかった。




<前次>

inserted by FC2 system