奪う供物


 カブキは旅を続けている。魔化魍に悩まされている村があればそれを助けて僅かな報酬をもらい、そうでなければ野兎を狩ったり魚を採ったりする、悠々自適な旅だ。
 しかし、あの光景だけはどんなに気を紛らわせようとも脳裏から消えてはくれない。
 のどをえぐられて死んだ子供。清めの音を出せない鬼。枯れた草木。死んだ動物たち。
 死の世界。
 それがたまらなく怖かった。鬼として戦えばまた多くの犠牲を払わざるを得ないのではないか。本当に俺は、人助けができているのか?
 いいようもない寒気が背筋を撫でる。それはとても怖く、どこか……安らかな気がした。
「いや、俺は俺が信じることをやる。人を襲う魔化魍を倒す。鬼の仕事は人を助けることだ」
 自分の腕を抱いてそう呟くことしかできなかったが、声に出したからか不安は薄らいでいった。
―――そうだ、あの子供のためにも俺は人助けを続けるんだ。それがあの子への一番の供養だろうから。
 黙々と歩くカブキの前に陣羽織を着て片目を覆う仮面をつけた男女がふらりと現れた。二人からは邪気が――魔化魍の気配が感じられた。
「お前、鬼か」
「お前、鬼か」
「ほお、よーく分かったなぁ。そうさ、俺ぁ鬼の中でも一番の色男、カブキさまよ!」
 軽口を叩きながらさりげなく男女を観察する。彼らの陣羽織に描かれている紋章は卍を逆にして丸をかぶせたようなもの。魔化魍と組んで凶事を働く血狂魔党の紋章だ。
 カブキは聞いたことがある、血狂魔党に属し魔化魍を育てる人に似たモノのことを。童子と姫であることはわかっているが、何の魔化魍を育てているのかは不明だという。
「んで、童子と姫が何の用だい?」
 カブキはゆっくりと変身音叉を手にとりながら問う。
「なに、今日は顔見せだ」
「なに、今日は顔見せだ」
 童子と姫はそう言うなり空に飛び上がり、緑の火の玉になって飛び去ってしまった。
 カブキはあわてて懐から音式神・消炭烏を取り出し、音角で弾いて投げ上げる。いくつかの小さな絵と『消炭烏』の文字が書かれただけの長さ五寸ばかりの札でしかなかったそれは、投げ上げるとひとりでに折りたたまれてカラスの姿を象り、カブキの周りを飛び回る。
 カブキはそれに童子と姫を追うように命じるが、童子と姫は消炭烏を遥かに上回る速度で飛び去り、音式神は一里も飛ばずに戻ってきた。
「ち、なんだってんだ、一体」
 戻ってきた消炭烏を懐に戻しながら忌々しげにつぶやく。この音式神はもとが紙とはいえ、一刻で八十一里半を飛ぶというのに。
 やつらは顔見せと言っていたが、何のために? まさか本当に顔を見るためだけなんてことはあるまい。第一、普通の童子と姫が火の玉となって飛ぶなどとは見たことも聞いたこともない。
「気にしたってどうにもなんねぇか。悩む暇がありゃ歩け、ってなぁ」
 音角を装備帯に戻して、再び悠々と歩き始める。童子と姫に出会ったことでむしろ胸の奥にわだかまっていたものが融けたような気がして、自然と上機嫌になっていた。
「鬼さんこぉちぃら〜手の鳴るほうへ〜、祇園で遊んだ幼い日を〜」


 しばらくカブキが歩いていると、前から妙な格好をした行列がやってくるのが見えた。みな白装束を着て沈鬱な表情を浮かべ、中ほどには少女を乗せた輿がある。
 間違いない。主役はまだ生きてこそいるが――魔化魍に生贄を捧げるための、葬送の行列だ。
「待て待て待て待てぇい! お前ら魔化魍に餌なんて呉れてやるこたぁねえぜ、このカブキさまが来たからにゃあな!」
 カブキはそう大声で口上を言いつつ、行列の真ん前に飛び出した。しかし彼らの表情は一向に晴れることはない。
「カブキ……そうか、あんた鬼か…。俺たちに構わんでくれ。みんな、行くぞ」
 先頭の男がそう言うと、後ろに続く者たちもカブキを避けてのろのろと歩を進め始めた。カブキの左右をぞろぞろと進む白装束の男たちの顔は暗く沈んでいた。輿の横に寄り添う男女――おそらくは少女の両親だろう――も足元に視線を落としたまま足を機械的に動かしている。
 しかし、輿の上の少女だけは違った。
「――――――――――――」
 暗い表情は同じだが、視線はカブキを捕えたまま離れない。
「お前、死にたいか?」
 カブキはまさに死に向かっている少女に容赦のない一言を投げつける。
「――――――――――――」
 少女は答えない。
「死にたいのか?」
 少女は視線を向けているだけだ。
「おい、いい加減にしろ!」
 聞くに堪えかねた少女の父親が、ついにカブキに食って掛かる。
「いい加減にするのはお前らだろうが!!」
 カブキの大喝は父親のみならず、行列に加わっている者たち全員の足を止め、顔を上げさせた。
「いいか、よーく聴きやがれ!
 大の大人がよってたかってこんな子供を死なせて、自分たちはのうのうと生きようってハラか? だったら許さねえ。俺が今、この場で全員叩きのめしてやる!」
 白装束の面々の顔が強張る。
「だがな、この子を死なせたくないってんなら話は違う。魔化魍をブッ倒して助けてやらぁ! さあ、どうする!?」
 カブキがそう言った後も、彼らから声は上がらなかった。思案しているような、小ずるく逃げ道を探しているような顔を見合わせているだけだ。
「――――私」
 生贄の少女がぼそりと声を出す。
「――――私、死にたくないです! 魔化魍に殺されるなんていや! お願い、助けてください!」
 少女は涙を流し、そう叫んだ。輿から飛び降りてカブキに駆け寄り、その腕にひしと抱きつく。
「そうか。よーし、このカブキさまに任せとけ! 魔化魍なんざ返り討ちよ!」
 カブキは少女の背に手を回し、優しく抱きしめる。少女はカブキの毛皮羽織に顔を埋め、声を殺して泣いていた。
「さぁて、次はお前らに訊こうか。この子を助けるか、それとも俺にぶっ飛ばされてでも生贄にする気か?」
 ざわざわとどよめきが広がる。しかしそれは一人、また一人と少女に視線が集まって止んだ。
「……その子を、亜沙を助けてくれるなら、頼む。カブキさん、小さな村とて碌なお礼もできんが、どうか亜沙を助けてくれまいか?」
 カブキはそれを聞いて、得意満面に鼻を弾いて応じる。
「応ともよ! 鬼の仕事は人を助けることだからな、断るはずぁねえぜ!」
 そうカブキが言い終わるのが早いか、みなの顔に喜色が浮かんで「ありがとう、ありがとう」の大合唱となった。


 カブキは白装束を借りて生贄の行列――近くの村の住民たちだった――に加わった。再び生贄の行列を組んだことで亜沙を始めとする村人たちの表情はまた沈んだが、その中には以前はなかった一点の希望が確固としてあった。
 カブキは歩きながら考える。村人の言によると、生贄を要求した魔化魍は真っ赤な鎧武者のような姿をしているらしい。
「赤い鎧武者、ねぇ。火焔大将あたりかね」
 火焔大将。別名、魍魎魔人邪骨大将。そんな魔化魍と戦ったことのないカブキは、ほかの鬼たちから聞いた情報をもとに当たりをつける。たしか人と同じくらいの背丈で炎を操り、豪炎魔剣なる大剣で戦うらしい。
 そしてもう一つ。火焔大将は血狂魔党に属する魔化魍だという。
「ち。また血狂魔党か……なんなんだろうね、一体」
 続いて、その情報をもとに対策を講じる。神出鬼没だというが飛ぶとは聞いたことがない。ならば双方の得物からまず間違いなく接近戦になるはずだ。とすると、音叉剣と音撃棒を主に使って戦うことになるだろう。
「なかなかの強敵らしいが、ま! やってみるっきゃねえよなあ」
 輿に乗った亜沙は色々と思案するカブキを頼もしそうに見つめては薄く微笑んでいる。ふと首を巡らせたカブキはその視線に気付いて苦笑を浮かべ、恥ずかしそうにふいっと顔を背けてしまった。
「鬼の旦那、そろそろです」
「応よ。みんな逃げる準備、しとけよ」
 あらかじめ設けられた祭壇に輿が寄せられ、亜沙が両親の助けを借りながら乗り移る。カブキはほかの村人たちと一緒になって地に伏して魔化魍の到来を待っている。
「き、来た……!」
 村人の一人が祭壇の前に現れた炎をみてうわずった声を上げる。それを見たカブキは腰の装備帯から変身音叉を外して軽く地に打ちつけ、額にかざしながらゆっくりと立ち上がる。祭壇の前の炎はやがて鎧武者の姿になり、カブキもまた炎に包まれる。
「―――歌舞鬼!」
 走りながら鬼に姿を変え、カブキは歌舞鬼になる。音叉は装備帯に戻さず、そのまま音叉剣と成す。
「せあぁ!」
 歌舞鬼が炎と亜沙の間に音叉剣を突き入れ、思い切り炎めがけて振る。しかし炎はすかさず棘がびっしりと生えた大剣を立ててそれを防いでいた。
 炎が消える。現れた魔化魍は真紅の鎧に火焔の後立を飾った兜を被り、面頬で顔を隠した武者――推測どおりに火焔大将だった。
「亜沙、早くみんなと一緒に逃げろ!」
 しかし彼女は間近に見た火焔大将に身がすくみ、逃げようとするがうまく立つことができない。それを見かねた歌舞鬼は亜沙が逃げる時間を少しでも稼ごうと左手に音撃棒を執り、火焔大将に打ちかかる。が、火焔大将は左手でそれを掴み、逆に歌舞鬼の手からもぎ取ってしまった。
「亜沙、早く逃げろ!」
 その声にようやく我に返った亜沙は一心不乱に歌舞鬼と火焔大将から離れていった。それを見届けた歌舞鬼は一足で火焔大将から二間ばかり飛び退いて、敵の出方を伺う。
 音撃棒を捨てた火焔大将が豪炎魔剣を無造作に片手で振りかぶり、同じく無造作に間合いを詰めてくる。歌舞鬼はその様子にわずかにたじろいだが、こちらは音叉剣を八双に構えて迎えうつ。
 ぶぅん。
 無造作を通り越して雑ですらある一太刀を火焔大将が放つ。剣速こそそれなりに速くはあったが、しかし鬼にとってはかわす事もいなす事も楽々とできるものだった。
 歌舞鬼はわずかに身を反らしてそれをかわすと、間髪入れずに袈裟懸けの一刀を見舞う。火焔大将はそれをかわそうとした様子だが、豪炎魔剣の重さに引きずられるように体勢を崩し、肩当てを貫いて左肩に大きな傷を負った。
 ぐむぅ―――
 低い唸りを漏らし、二歩三歩と後ずさる。歌舞鬼は火焔大将を中心とする円を描いてゆっくりと地に放られた音撃棒に近付いてゆく。それに気付いた火焔大将がそうはさせまいと豪炎魔剣を振って再び襲いかかる。
 ふっと短く息を吐いて咄嗟にかがんだ歌舞鬼は音叉剣を捨てて右手に音撃棒を執り、それで地面に転がったもう一本を跳ね上げて左手に執る。それを頭上に交差して、危うく豪炎魔剣を受け止めた。そのまま体勢と豪炎魔剣の重さで圧し潰そうとする火焔大将だが、強力を誇る歌舞鬼はじわりじわりと立ち上がり、体勢を立て直す。シャキッ、と鋭い音がして、その両手には鋭い鬼爪が生えそろっていた。
 火焔大将はそれに恐れをなしたのか、豪炎魔剣を弾くと同時に強く地を蹴って歌舞鬼から離れ、そのまま炎に身を包んで消えてしまった。
「……逃げやがった、のか? ったく、手ごたえのねぇヤツだな」
 内心ではどこか手を抜かれていたと感じていたが、口には出さないでおく。音叉剣を拾って変身を解いた。
「亜沙ー、みんなー、魔化魍の野郎は逃げちまったぞー!」
 大声で叫ぶと、遠く離れた祠や木の陰などから村人たちが一人、また一人と出てきてカブキに近付いてくる。
「いやあ、すごいものでしたなぁ、カブキどの! あの魔化魍め、おめおめと逃げ出しおりました!」
 そう頭領格の男が言うと、みなが口々にカブキを賞賛する言葉を口にした。亜沙はそれについていけないのか、人垣から少し離れたところからカブキを見つめている。カブキがそれに気付いて、にっと笑顔を浮かべると、亜沙も可憐な微笑を浮かべた。
「さあさあ、村へお越しください。碌なもてなしを期待されても困りますが、それでも飯くらいならご馳走できますゆえ!」
 カブキはそう言われるままに彼らの村へと歩き始めた――というよりも村人たちに寄ってたかって背を押されるようにして歩いている。彼は調子を合わせたり格好をつけたりして一緒に騒いでいるが、やはり先ほどの火焔大将の奇妙な戦い方が気になっていた。




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