鍛える少年


 チキの家に向かう嘉介にチキが追いついたときから修行は始まった。
「まずは手始めだ。俺ん家まで俺を背負っていけ」
 その言葉で両親からなんとか承諾を取り付けてくれたことを知った嘉介は、おう、と威勢よく返事をするも、大人二人分ほどの目方を持つチキにあっけなく押しつぶされてしまった。
「ったくだらしねえなぁ」
「ちったあ自分の目方考えてからやらせろ!」
 仕方がないのでチキは自分のペースで軽く走り、嘉介について来いと命じた。もちろんチキのペースが尋常であるはずもなく、チキの家に着いたときには嘉介は息も絶え絶えの有様だった。
「はあ、はあ、はあ、はあ……やっと着いた……」
「おい、なに休んでんだよ。次はコレだ」
 と言って無情にもチキが差し出したのは薪の束と斧だった。
 そのあとも大量の薪割りに続いて、やたらと吹きにくい火吹き竹を使って風呂沸かしなど、雑用を兼ねた鍛錬、嘉介に言わせれば鍛錬を兼ねた雑用が待っていた。
 翌日は動けないほどの筋肉痛だったため地獄の鍛錬は早くも休んだが、その翌日からは朝から晩まで『鍛錬を兼ねた雑用』を行うことになる。
 そんなことを三月も続けていると嘉介の身体はみるみる逞しくなり、力自慢の大人と相撲をしても十中八九は勝てるようになった。
 そして半年後には魔化魍が現れると童子と姫を相手に命がけの組み手をやり、見事に童子を撃退した。無論止めを刺したのは地鬼だが。
 そんな過酷な鍛錬の甲斐あって嘉介はめきめきと頭角を現し、修行の一年目で厳しい心の鍛錬が必要な顔の変身までできるようになった。
 弟子の鬼の姿は師匠のそれに似ることが多いが、嘉介が変身した姿はシンプルな地鬼とは似ても似つかぬ派手なものだった。変身の時には炎や風、雷などの自然現象が伴うのが常だが嘉介のそれには花吹雪が伴い、変身した姿は緑の装束に身を包み黄金の肩当をつけ、赤と緑の角を生やしたそれはまるで歌舞伎役者のようだった。
 それを見たチキはしばらく大口を開けて絶句した。
 二年目からはチキとともに魔化魍と戦うようになった。練習用の音撃武器しか持たず、ともすれば徒手空拳で魔化魍と戦わせられたこともある。
 地鬼は嘉介がどれほど痛めつけられても、自力で一矢報いるか命にかかわる怪我をしかねない状況になるまで一切手を出さなかった。しかし気を失った後に目を覚ますと必ずチキの心配そうな顔が最初に目に入った。
 ツチグモと戦えば糸でぐるぐる巻きにされ、カッパと戦えば粘液を取るときに風下にいたせいで一晩中声がおかしくなった。ヌリカベと戦って挟まれて失神したこともあれば、ドロタボウと戦って大増殖させてしまい、しわ寄せを受けたチキに大目玉を食らったこともある。
 三年目では地鬼から音撃武器を借りて一人で魔化魍を倒すに至った。地鬼は音撃武器を貸したが、その代わり一切助言をしなくなった。嘉介が自力で魔化魍の攻略法を体得するためだ。
 もちろん三種の音撃のなかでどれかひとつでも使えないものがあっては戦国の鬼としては失格だ。嘉介は予め初歩的ながら地鬼から音撃打、音撃射、音撃斬の伝授を受けたのだが、中でも音撃打を使ったときといったら、まるで舞っているかのような鮮やかさだった。
 しかし本来音撃弦を用いるはずのバケガニを相手にするのに音撃管を借りて出陣したものだから地鬼が気になって見ていると、当然の如く殻で鬼石が弾かれるものだから段々といらついてきたのが地鬼にもわかった。しかしそれで逃げたり投げ出したりすることはなく、呆れたことに鬼爪で関節から殻を引き剥がして鬼石を打ち込み、強引に音撃射を極めたのだ。
 そして四年目のある晩。
「嘉介、今この時からお前は歌舞鬼と名乗れ」
 突然の言葉の意味をしばし考える。師から鬼の名を与えられること。それは即ち―――
「俺、独り立ちか!?」
「ああ、そうだ。お前はもう充分に鬼としてやっていける」
 にやっと笑ったチキは餞別だと二つの木箱を嘉介――否、カブキに渡した。蓋を開けてみると中に入っていたのは翠の音撃棒と金の音撃鼓だった。
「音撃棒・烈翠と音撃鼓・黄金丸だ。いい名だろう、黄金丸! 何よりも気高い信念って意味だ、二日がかりで考えてやったんだぜ」
「そんなのすぐ思いつくだろ……」
「あぁ!?」
「いい名前だ、黄金丸!」
 変身してもいないのに変身後よりも怖い顔でにらみつけられ、あわてて訂正する。
「それとな、これはお前の親御さんからだ」
 箪笥から巾着袋を取り出し、カブキの手を取ってしっかりと握らせる。三年前に預かったあの巾着だ。
「俺の……」
「ああ。お前の元服祝いのために貯めていたんだとよ……後で、礼を言っときな」
 巾着袋を握り締めて、じわりと涙を浮かべるカブキはただ無心に頷くことしかできなかった。
「ほれ、もう湿っぽいのはヤメだ! せっかくの独り立ちの祝いなんだからよ!」
 チキはカブキに内緒で用意した酒肴を次々と取り出してくる。その夜は初めて師と弟子ではなく鬼同士として酒を酌み交わし、笑いあった。


 翌朝。
 したたかに呑んで炉辺に雑魚寝した二人だったが、鍛えられた身体は酒精に負けずいつも通り早朝に目を覚ました。
 二人とも昨晩の片づけをしたり朝餉を食べたり、三年間続けた日常をなぞる。しかし朝餉の片づけが終わるとカブキは烈翠と黄金丸を装備帯につけて玄関を出た。
「わかってるだろうが、これからは俺とお前は師匠でも弟子でもねえ」
 向き合ったカブキにチキが宣言する。
「対等の鬼同士だろ、チキさん」
「言うようになったじゃねえか、餓鬼め」
 チキはカブキの頭を軽く叩く。
「俺がいなくても大丈夫か?」
 カブキがチキの胸を軽く押す。
「ヘッ、言ってろぉ! このあたりのやつらは俺がしっかり守るからよ、お前なんざさっさと何処へなりとも行っちまえ!」
「おうよ、地獄の修行が終わって清々すらあ!」
 同時に拳を突き出し、荒々しく打ち合わせる。
 そしてカブキが背を向け、堂々と歩き出した。威風堂々として、弟子入りした頃の弱さは感じられない。
「心ばっかりは鍛えてやることはできねぇからな。後は自分で何とかしろよ」
 鬼の――いや、人の一生の命題ともいえるものを告げるチキの言葉には振り向かず、手を天に振り上げて答えた。


 去ってゆくカブキの姿が見えなくなると、どこからともなく一人の男が現れた。
 名をテンキ。チキの兄弟弟子だ。
「チキ。カブキとやらに修羅を伝授しなんだようだが、それでいいのか」
 修羅とは心の中で憎悪を燃え上がらせることで力を増す、いわば鬼の強化形態だ。テンキとチキに伝授された究極音撃斬・天地廻りは全身に棘を生やした修羅になることで初めて放つことが可能となる。
 しかし憎しみを燃え上がらせて得る力と万物を清める音のバランスをとるのが非常に難しく、ともすれば自身の闇に呑まれて正真正銘の鬼に堕落しかねない諸刃の剣なのだ。そうでなくとも修羅になれる時間は生涯で丁度一日分、使いすぎれば心の大切な部分が死に、鬼になる力が失われる。
「ああ。あいつにゃ憎しみの力で強くなる修羅なんて無用の長物だろうさ」
「まあな。いつか憎しみではない力で修羅を使いこなすような、そんな強い男に出会いたいものだ」
 真に修羅になるには鬼の血を飲むことが必要だ。テンキとチキはともに師匠である鬼の血を飲んだ。鬼が鬼の血を飲むと真に鬼となり、二百五十年もの長寿と強力な呪術を操る力を得ることができる。
 しかしそれは本当に歌舞鬼のためになるのだろうか。
 長すぎる命は心を磨耗させ、強すぎる呪術の力は鬼をさらに人から遠ざける。心底人が好きな歌舞鬼には無用なのかもしれない。
「だが、本当のところを言うとだな……」
「なんだ? もったいぶるな」
 チキが珍しく神妙な顔をする。テンキも妙に気になってその顔を覗きこみ、先を促す。チキは重々しく口を開いて―――
「見たいか? あの派手な鬼の姿に修羅のトゲトゲ生やした歌舞鬼」
「はーっはっはっは、違えねえ! まるでどこぞの売れねえ旅芸人だぜ」
 二人は呵呵大笑して、もう見えなくなったカブキを見送った。




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