芽生える誓い


 時は戦国。だがこの国に目立った戦は絶えてない。暖かな日差しが降り注ぎ緑の草木が生い茂っている。その中を前だけを見て歩く、一人の少年がいた。
「チキさん! お願いだ、俺を弟子にしてくれ!」
 少年は小屋の戸を開け放つなり中に向かってそう叫んだ。チキと呼ばれた男は酒の入った椀を口に当てたままぽかんとしている。
「はあ? お前なに言ってんの? 俺が何の師匠なんだ? いやそれよりもお前だれだ?」
「俺は嘉介! 鬼の弟子になりにきた!」
 それを聞くと男はのっそりと立ち上がって頭を掻きながら嘉介の前に歩み寄る。
 男の名はチキ。数年前にここに住み着いた変人の猟師――ということになっているが、その実彼は地鬼という鬼である。嘉介はそれをどこかから聞きつけてきたのだろう。
「鬼になるったってお前、親御さんはどうしたぁ?」
 親御、という言葉に嘉介は一瞬目をそらすが、すぐにチキを見据えて言い放つ。
「あんな親は知らねえ! 俺は俺だ!」
 いささかぼんやりしていたチキの顔がまるで泰山府君のように歪み、右手で乱暴に嘉介の胸倉を掴むと軽々と自分と同じ目線まで持ち上げた。
「馬鹿ぁ休み休み言え! 親御の許しも得ねぇで弟子入りなんざ、俺ぁ許さねえぞ!」
 嘉介は呆気に取られて声を出すどころか表情を変えることすらできない。
「親御さんにいいって言われてからまた来いや。そしたら話ぐらい聞いてやる」
 チキはそれだけ言うと手を離し、嘉介は地べたに尻を打ちつけた。
 それっきりチキは嘉介を気に留めることなくまた小屋の中に引き返していった。だがその背に涙をこらえた声が浴びせられる。
「……この半年、毎日毎晩説得したさ! 俺がなんで鬼になりたいのか、鬼になってなにをしたいのか! これでもかってくらい説得したよ!
 けどな、親父もお袋も、俺の話を聞きやしねえんだ! 鬼の『お』の字も口に出せば黙りこくっちまって……そんなんじゃ埒があかねえから飛び出してきたんだ!」
 それを立ち止まって聞いていたチキは、むぅ、と深い呻吟をもらすと「なぁるほどなぁ」とつぶやき、嘉介に向き直った。
「嘉介。お前が鬼になりたい理由と鬼になってしたいことを聞かせてみろ」
 嘉介は顔を下げて地面をにらみながら訥々と話し始めた。
「……俺の姉さんは……魔化魍に食われたんだ…。この辺で一番のいい女だって評判で、そのくせ人一倍働き者で、俺の自慢の姉さんだった。今でもちゃんと覚えてるよ、姉さんの泥だらけの手の温かさは。
 けど、ある日突然に現れた魔化魍に攫われて食われちまった。
 悲しかったよ。俺じゃどうしようもなかった。けど、それからしばらくしてその魔化魍が倒されたって噂が立ったんだ。
 そいつを倒した鬼ってのが―――」
 顔を上げた嘉介の顔を、チキは見つめた。
「俺、ってわけか―――くそ、あんときのウワバミだな……」
 嘉介はこくりと頷き、涙と鼻水をぬぐって先を続ける。
「それから俺は、いつかあんたの許で修行して鬼になるって決めた。もう誰にも俺みたいな悲しい想いはさせたくないから! 鬼として人を守る、それが俺の望みだ!」
 チキはそれを聞き届けると口元を吊り上げて、ふん、と息を漏らし、厳しい顔にこれまた厳しい笑みを浮かべた。
「へっ、大層な口上を叩くじゃねえか。よし嘉介、俺も親御さんを説得してやらあ!」


 嘉介は意気揚々と自分の家に引き返してゆく。その後ろにはチキが続いている。
 やがて目的の家が見えてきた。家族で住んでいるのだから規模こそ上回るが、ぼろさ加減ではチキの家に引けを取らないボロ家だった。
「親父ぃ、お袋ぉ! 話がある!」
 戸を開け放つなり大声を上げる嘉介に驚いて両親は目を見開く。そしてその後ろに立つチキを見て、表情を凍らせた。
 嘉介が威勢良く炉辺に座ると二人も無言で座に着き、あいたところにチキが大柄な体躯に似合わず物音ひとつ立てずに座った。
「俺は鬼になる。鬼になって人を守る」
「鬼になればいつ死ぬともわからん。それにお前がいなくなってから俺たちはどうやって暮らす?」
 真っ先に結論を言う嘉介に、父親がそれに水を差す。いや、働き手が一人いなくなるのは生活にかかわる重大な問題なのだ。
「………土地は、土地は充分に肥えてる。親父もお袋もまだ衰えちゃいねえはずだ」
 二人はその答えを聞き、嘉介の顔をじっと見つめる。
「な、なんだよ」
 ひたすらに自分を見つめる両親に漠然とした不安を覚えたのか、嘉介は炉辺から立ち上がると玄関の板戸に手をかけた。
「とにかく、俺は鬼になる!」
 そう言うと、がらりと戸を開けて出て行ってしまった。
 チキはしばらく黙っていたが、やがて威儀を正して二人を見据え、口を開いた。
「俺ぁ鬼のチキというモンです。おそらく、娘さんを喰った魔化魍は俺が手こずって一度取り逃がしちまったヤツだと思います。本当に娘さんには申し訳ないことをしてしまいました。
 しかし、そんなボンクラに息子さんを預けていただけるなら、必ずや立派な鬼に育て上げることをお約束します。
 嘉介の目は澄んでいて力強い。やがては多くの人を救う、立派な男になるでしょう。いや、俺がしてみせる!」
 胡坐をかいたまま姿勢を正し、前に両拳を突いて頭を下げる。
 二人はしばらく微動だにせず黙っていたが、やがて母親が口を開いた。
「チキさん。過ぎたことはもういいんです。あの頃あなたはこの村に来たばかりでしたし、私たちも鬼というものを知らず、むしろあなたを邪魔立てしてしまったこともありました」
 父親はチキの肩に手をかけて助け起こし、チキの目を見て言った。
「それにあなたは娘の仇を討ってくれました。これまでも誰に頼まれたわけでもないのに魔化魍から村を守ってくれて、頭を下げるべきなのは私たちのほうですよ」
 二人は静かに頭を下げた。
 しばらくして三人ともに顔を上げると、父親が静かに話し始めた。
「我々は娘を魔化魍に食われ、ようやく気持ちがおさまった頃に嘉介が鬼になると言い出したときにはどうしていいかわからずにあのような仕打ちをしてしまいました」
 うつむき加減に話しているので、長身のチキからその表情は伺えない。
「仕方ないさ、それも人間ってもんだ」
 チキは薄く笑みを浮かべて二人に諭すように言う。
「けれど、それで嘉介の我々への想いが吹っ切れるならそれでいいのかもしれません」
「いいや、そりゃ違うな。断じて違う。絆は鬼にとっても人にとっても大切なものだ。それに親子の絆がそれしきのことで吹っ切れると思ってるのかい?」
 二人ははっとした表情でチキを見つめる。やがて母親がしばらく目を閉じて幾度も頷き、懐からぱんぱんに張り詰めた巾着袋を取り出してチキに渡した。
「これは嘉介が元服するときに渡そうと思っていた蓄えです」
「どうか、これであの子の面倒を見てやってください。どうか、この通りです!」
 二人は躊躇うことなくチキの前に土下座し、額を床板に擦り付けた。
「おいおい、俺ぁそんなことされる覚えはねえぞ。まずは顔を上げなぁ」
 チキに上体を起こされて顔を上げた二人は、今度はチキの顔をじっと見つめる。
「では、お願いできますか!?」
 その問いに大きく頷き、チキは言う。
「応、とりあえずこいつは俺が預かっとく。あいつが独り立ちするときに間違いなく渡すぜ」
「ありがとうございます!」
 ひらひらと手を振ってまたしても土下座しようとする二人を制止し、もうそういうのは無しだと言う。
「そんで、あんたらは……」
「嘉介が言ったとおり、ご心配は無用です。田畑は肥えていますし、今年は実りもいい。二人だけでも充分にやっていけますよ」
「むしろ大飯食らいの嘉介がお邪魔するそちらが気がかりなくらいです」
 そりゃ大変だ、と言いながらチキは軽く頷く。
「それでな、俺んちはここから三里ばかりのところにあるからよ。嘉介の顔が見たくなったら遠慮なく来てくれ」
 その言葉に二人は顔を見合わせ、
「いえ、あの子は威勢良く振舞っていてもまだ子供。親の顔を見ればくじけてしまうかもしれません」
「そうかい。ま、そういうこともあるかも知れねえし、子供のうちに親元を離れるってのもいい経験だろうさ。
 でもよ、こっそり覗くくらいならいいんじゃねえか?」
「ええ、そのくらいならちょくちょく行かせてもらいますよ!」
 二人ともに声をそろえて嬉しそうに即答する。
「では、嘉介をどうかよろしくお願いします」
 応、と言って立ち上がるチキ。巨体に似合わぬ優雅な所作で――いや、隙と無駄がないというべきか――家を出る。右手を目の高さで振りながら去ってゆくチキに、二人は深々と頭を下げた。




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