青柳正(人名)
 あおやぎ まさし。
 広域暴力団七瀬組の若衆。西野晴墨の兄貴分だった。
 彼を一言で表すならば最低の下衆。古いタイプのヤクザで、企業としての利益よりその過程である暴力をこそ重視した。非合法な金融会社を仕切っており、債務者を追いつめるためにあえて返済の目処が立たない人間に金を貸して徹底的に苛め抜くことを頻繁にしており、そのために人生を破壊され命を落とした債務者は少なくない。
 当然ながら先見の明がある近代的なヤクザである西野との関係はすこぶる悪く、頻繁に暴力をふるい罵倒した。闇金融が衰退し風俗業が拡大して二人の立場が逆転し始めてからはさらに悪化し、何度も西野を殺そうとしていた。
 霧栖弥一郎をいたく気に入っており、よく夜の街を連れまわして自分の職場に何度も顔を出させた。そこで鋳車和観の母親を弱者であるという理由だけで追いつめ、鋳車和観を二度とボールが持てないようにしてやると宣言した。そのため2001年の秋に霧栖弥一郎に襲撃されて瀕死の重傷を負い、『たまたま』居合わせた西野によって処理された。


悪魔(用語)
 荒唐無形にして人知無能の現象。
 架空の触覚は同じ空想の怪物、つまり悪魔を許容する。


悪魔使い(用語)
 悪魔を使役する者。
 迦遼海江と石杖所在が該当する。彼らは欠落した部位に悪魔を装着して使役する。


悪魔憑き(用語/俗称)
 アゴニスト異常症、A異常症、レセプタクラッシュといわれる突発的な精神障害の俗称。


悪魔と名乗る男(俗称)
 詳細不明。悪魔の真似事をしていると自称する。帽子を被ったこれといった特徴のない男で、大切なものと引き換えに願いを叶えてあげよう、と持ちかける。単に対象に強迫観念を植え付けるだけの場合もあれば、瀬倉弓夜のように実際にアゴニスト異常症にすることもある。本来感染していない者もアゴニスト異常症にすることができるが、たいていの場合は狂乱して殺しあうようになるらしい。


悪魔払い(用語)
 悪魔憑きを体ごと壊す。そのためまともな人間に戻れることは戻れるが、社会復帰は絶望的。石杖所在に払われた患者は『悪魔憑き』ではなくなるので、特例として普通の病院に送られる。


アゴニスト異常症(用語)
 悪魔憑きと俗称される精神障害。A異常症とも。自分の感情をコントロールできなくなった精神障害者のこと。脳にできる腫瘍とされ、世間一般には『躁鬱の激しい自律神経失調症』と認識されている。
 強烈な感情により神経伝達物質(リガンド)が放出されすぎて受容体刺激剤(リガンド)のごとき毒となり、受容体(レセプタ)が破壊されて、受容体がその感情を鎮静させるために新しく人体機能を調節する。その結果人体としての在り方が歪む。
 これは症状が軽い順にA、B、C、Dと分類される。軽度ならば人格の変貌、自己の喪失、強迫観念による自傷行為自殺未遂、周囲への殺意の発散となる。重度の発病者は精神面のみならず肉体面でも人間では持ちえない機能を発揮する。簡単に症状を分類すると、もとからある性能が上下するものと肉体が変化するものとに分けられる。
 初期症状は精神疾患に近く、自我の増大もしくは減少、周囲との摩擦、個人への執着、一人では抱えきれない脳波の暴走といったもの。これにより脳の受容体に多大なストレスが与えられ、受容体はその原因を解決するために、痛むのなら痛まない体を、獣に戻りたいなら獣のような身体機能を、といったように精神的外傷を克服するため、原因はそのままに身体機能を変貌あるいは新造する。
 アゴニスト異常症による変態は本人が渇望すれど通常ならば到達不可能な力を与えるが、あくまで非可逆な自壊。たとえば何らかの理由で生来の身体機能を失った者がアゴニスト異常症によってその機能を取り戻したとしても、その形と心は本来のそれからかけ離れたものとなる。
 新部は夢の新造機能ではあるが、その分通常組織に負担がかかりすぎる。そのため、新部を生きるため以外に使いすぎると内部が壊死して死に至る。そういった状況は治療をせず単身で生活している重度のアゴニスト異常症患者に多い。
 アゴニスト異常症患者の多くは精神障害を併発する。大部分は精神障害を先に発症するが、新部を得てから精神障害を発症する患者もいる。
 A判定は患部はあるが新部がない者。B判定の基準はよくわからないが、久織巻菜の見立てでは新部が比較的安定しており、ぎりぎりで治療が現実的であり手術の許可が出そうな者。一番患者数が多い。C判定は病状が安定した患者。D判定は末期の患者。治療、切除が不可能、あるいは成体。
 D判定の患者のなかでも特別な患者はもはや人間としての原型がないという意味で『なし』と呼ばれる。ハートレスとブレインレスが確認されており、ブレインレスは石杖火鉈。オリガ記念病院に収容されているD判定の患者は43人で、そのうち人間として自立できるのは石杖火鉈と午宮留是留、倉密メルカの三人。
 D判定の患者は患部の切除が死に直結する。オリガ記念病院ではB判定の患者を何度か手術したことがあるが、術後は外界の出来事にまったく反応を示さなくなった。つまりB判定であっても患部を切除すると廃人になるのである。例外として正気に戻ったあと自らの罪に耐え切れず心を閉ざした女性もいる。
 よって患部の切除により人体を正常に戻すことは可能でも、心を正常に戻すことは不可能。実際に心の治療は成功していない。
 その三要素は受容体刺激剤を異常分泌させる原因である患部、それによって新しく生まれた機能である新部、患部を育て上げる原因であった感情の暴走。一般に常人よりも頑丈で、神経性の麻酔は効きにくい。
 アゴニスト異常症の原因となる病原体の総数は判明しており、それ以上に増えることはない。だがわかっているのは数字だけであり、誰がどんな患者かは発症するまで判らない。病原体の滅菌は1990年に完了している。感染した可能性があるのはおよそ20万人、発症の可能性があるのは最大で5000人。なお2004年8月13日の時点で約4000人の患者が発見されており、うち約3000人が死亡、オリガ記念病院に入院しているのが約600人。
 病原体は外界に潜伏し続ける耐久力と人体に影響を与えるという点での感染力は既存のどのような病原体より強いのだが、繁殖力だけはCDCカテゴリでC以下の最低ランク。そのため第一世代の患者から第二世代が生まれるとか、病原体が増えることで患者が増えるといったことはない。だが日守秋星の言によれば血液感染もありえるらしい。
 患者やその被害者はオリガ記念病院に収容され、一度でも入院した者は国が管理、監視、運営するため住居を他の県に移すことはできない。アゴニスト異常症についての統計は県単位で出されており、C県が最も多い。またアゴニスト異常症患者は退院できたとしてもパスポートどころか運転免許証すら取得できない。逆算すると最初の発症者はおよそ二十年前に発生した。感染者は東日本にのみいる。
 基本的に患者はオリガ記念病院に収容されるが、石杖所在に払われた患者は『悪魔憑き』ではなくなるので特例として普通の病院に送られる。が、その場合には新部を切除するため廃人になる。
 ただの精神障害なのに自称悪魔憑きが増えている。


アミューズメントパーク(地名)
 正式名称不明。C県にある三階建てのアミューズメントパーク。地下一階が駐車場になっており、一階は書店、二階と三階がゲームセンターになっている。地上階は全て吹き抜けで、フロアは段差状になっている。二階にはUFOキャッチャーやカードゲーム、競馬などがあり、三階には対戦型格闘ゲームやシューティングゲームがある。
 藤悟木更が能図から拉致した四人の子供たちと立てこもり、単身侵入した日守秋星と子供たちごと爆破。


アメンチア・ナイトメア(用語/俗称)
 →由寿餅アロウ。


在野立花(人名/悪魔憑き)
 ありしの(名前の読み不明)。
 胸に宿る月の琴。エア月琴。オリガ記念病院に入院していたB判定のアゴニスト異常症患者。最も多く殺人を犯した悪魔憑きらしく、北の方で一万人を殺害したらしい。2005年2月14日に石杖火鉈に殺された。火鉈曰く、隠し技の早弾きソロはかなり感動した。


有島将吾(人名)
 2004年8月6日の時点で19歳になったばかりのフリーター。身長183cm、体重95kg。通称シマショウ。支倉第一高校の生徒だったが、コアラヶ丘高校に転校して卒業した。野球部では最終的に四番打者に選ばれたが長打に向いていないと辞退し、三番に収まった。
 SVSでそれなりに名の通った打者であり、ゴールドの3番の携帯電話を持っていたが、鋳車和観に殺害された。



  


鋳車和観(人名/悪魔憑き)
 いぐるま かずみ。
 シンカーと呼ばれる連続殺人鬼。唇に縦の切り傷がある。三振生産投手。ドクターK。怒りをもって起動する悪魔憑き。新部を得てから精神障害を発症しており、幼児退行と部分的な記憶の欠如がその症状。
 母子家庭で、家計はきわめて困窮していた。そのため近隣の大人や子供たちには軽蔑され、学校からも給食費や教材費の滞納から鋳車を生徒として扱わず、担任の女教師にいたっては彼一人を公認の迫害対象とすることでクラスの不満を抑える方針を採っていた。そのため学校では給食すらまともに食べさせてもらえなかった。
 石杖所在の二歳年下、霧栖弥一郎の一歳年下。能図工業団地に住んでおり、そこで小学生の頃からバッター役の霧栖とキャッチャー役の少年と三人で野球をしていた。五年生のときに監督に勧誘されて霧栖、キャッチャーの少年とともにリトルリーグに参加するが、あまりの上達ぶりに一年足らずで他の子供たちとの差が開きすぎ、疎まれるようになる。
 その後、三人で練習していた場所で願いを叶えてやるという帽子を被った悪魔と名乗る男に『絶対に打たれない投手』になりたいと願い、『打たれたら死ぬ』と言われる。同じく『全打席ホームラン』を願い、『打てなかったら死ぬ』と言われたキャッチャーの少年がその翌日にホームランを打てずに殺されたことから、投球は一球ごとに殺しあう命のやり取りになってしまった。そのため恐怖と執念を原動力に右腕に磨きをかけ、試合はおろか投球練習でさえ殺気立つようになってさらにチーム内で孤立を深めることになる。だがリリーフとして七回から登板してからはただの一度もヒットを許さないという驚異的なスコアを誇る投手となった。
 それからシンカー使い名を馳せ、県下一の変化球投手として大成した。しかし霧栖と野球をしなくなってからは彼にとって野球とは拷問に他ならず、楽しかったころのことを思い出すことすら出来なくなっていた。それでも野球を続けたのは母親のため。
 母親の教育の賜物か、貧困の中でも世を憎み羨むことはなかった。週末に霧栖の家で夕食をご馳走になることが慣例となっており、彼はその食事を特別なものを出してくれていると思っていたのだが、平日に招かれたときにその『特別な』食事を出され、自分の家の貧しさを目の当たりにする。これによって彼にとっての野球は楽しむためではなく自分たちを救う手段となった。
 霧栖が中学に上がってからは会っていない。
 高校時代にはコアラヶ丘高校の野球部に所属し、天才ピッチャーと称された。変化球を得意とする投手で右投げ。オーバー、サイド、アンダーのそれぞれの投球法に習熟しているが、小学生の頃に小柄であることからオーバースローを諦め、サイドスローに切り替える。アンダースローは決め球で、シンカーと呼ばれる殺人鬼になってからは直角に曲がる球を投げるときにだけ使うようになった。
 野球特待生として学費免除でコアラヶ丘高校に入学し、現役時代は支倉市に二人いた『人を殺しかねない野球選手』のうちの一人として知られていた。その所以はバッターにとっては直角に曲がるとしか思えないほどキレのあるシュート(シンカー)、的確な読み、胆力、ビーンボールを放たれるという錯覚。ただし鋳車は一度たりともデッドボールを出したことはない。
 2002年に夏の地区予選三回戦で霧栖弥一郎が所属する支倉第一高校と対戦することになり、前日に『容赦なく打ち崩してくれ』と霧栖に頼む。だが肝心の霧栖が先発投手から二本のホームランを奪ってエースを引きずり下ろすが、嘔吐しすぎて失神してしまい、対戦は果たせなかった。
 2003年には新エースとなったが、8月の地区予選決勝前日に瀬倉弓夜を中心とした部員8人にリンチを受けて肘と指を破壊(粉砕骨折)され、決勝当日に故障を理由に降板して引退。その後もまともに動かない腕でずっと投球練習を続けていたが、下級生にさえこき使われるまでに地位は下がった。12月に瀬倉の教室に授業中に押し入り瀬倉を殴ろうとしたところを教師に抑えられ、支倉市警察署少年育成課の指導を受ける。このときの調書には鋳車が極度の錯乱状態にあったとある。その三日後に留置場から釈放されて学校からの退学処分を了承し、自主退学という形で決着。おそらく暴力未遂は瀬倉らによって母親が自殺に追い込まれたことが関連していると思われる。なお鋳車は母親の自殺を理解していなかった。
 なお瀬倉による暴行事件は(おそらく12月の鋳車による暴行未遂も)学校により隠蔽され、公表されていない。その後鋳車を見た者はおらず、路上生活者の中にいたという噂がある。一応家出扱いで捜索対象となっているが、彼を発見・保護した警官はいない。
 2004年7月に路上生活者の中に彼と思われる少年の姿があったのだが、意識は定まらず自分の名前さえ口にできない状態だった。歪に折れ曲がった右腕を抱え、ピッチャーになりたいと懇願する彼を哀れに思った路上生活者がSVSを見せ、以後徐々に通常の精神活動を取り戻していった。ある日投手たちの集まりを眺めているときに悪魔と名乗る男に再会し、患部と新部を形成され悪魔憑きとして再び投球できるようになる。だが長らく放置していた右腕と半身はひどく焼け焦げてしまった。
 SVSをしているときには廃工場で起居していたようだ。
 新部は血液。ボールに付着させた血液を爆発させることで急激な軌道変更や加速ができるが、爆発力が強いため変化は二回が限度。再び野球をするため、この能力を使って自分が悪魔憑きであることを知る(再起不能になった鋳車が復帰している=悪魔憑き以外ありえない)かつてのチームメイトらをSVSのルールに則って殺害していた。SVSを続けるのは霧栖に打ち崩してほしかったからでもある。その頃は肉体的に相当疲弊していて常に強烈な寒気を感じ、記憶も欠落し既にまともな自我を保ってはいなかった。ろくに入浴もせず、衣服は擦り切れ、左腕はむき出しだが右腕は掌まですっぽりと長袖で覆い、顔もパーカーのフードで隠していた。
 しかし投球中は痛みや寒さを感じなくなり、精神状態も若干安定して生の実感を得る。投球直後だけは記憶の欠落はともかくとして自我は比較的まともになり、肉体的な損傷もほとんど感じなくなる。SVSを始めた頃は投球を始めてすぐに鋳車和観としての意識を取り戻したようだが、8月16日の時点では意識を取り戻すのに何球も投げなければならなくなっていた。
 2004年8月16日の時点で日守秋星の見立てでは体の右半分が壊死しており、既に自滅している状態だった。投球中に肘が折れるが、通常では考えられない速さで繋がる。SVSの前半では折れても投球中に繋がっていた。投球中に腕から血を流す。
 殺害方法は剛速球を頭部に命中させることで頭蓋骨を砕き、脳挫傷を引き起こすこと。生命を奪わなかったこともあるが、その場合は肘を砕いて選手“生命”を奪っていた。なお殺すのは三振した場合か逃走した場合に限られる。対戦相手を殺すのは、そうしなければ家に帰れないという強迫観念があるから。
 月見里朋里や日守秋星ほどではないが、一般人を凌駕する身体能力を持っている。
 8月18日に能図の工業地帯の端にあるテナント建設現場の直角に曲がる通路で鏡越しに霧栖弥一郎と対戦し、見事に打ち崩されたあと石杖所在によって払われた。その後の保護は警察により人知れず行われ、連続殺人鬼シンカーは違法薬物の中毒者の犯行という線で落ち着いた。


鋳車和観の担任教師(人名)
 本名不明。
 鋳車和観の小学生の頃の担任教師。正義感の強い女性で、そのためか給食費や教材費を滞納していた鋳車を公認の迫害対象にしてクラス全体の不満を抑える方針を採った。悪意はないにしろいわば彼女が率先して鋳車をいじめていたのであり、暴力も辞さなかった。


鋳車和観の母親(人名)
 本名不明。
 経済的にはきわめて困窮していた。学歴はなく、若くして結婚、離婚し、要領も悪い。そのため定職には就けず、空き缶や空き瓶を拾い集めるリサイクルでわずか(紙幣一枚か二枚)な日銭を稼いでいた。
 和観がリトルリーグに入ってからは彼の活躍を喜ぶようになる。
 青柳正の闇金融から金を借りていたが順調に返済した。2003年12月に瀬倉弓夜らに追いつめられて首吊り自殺をした。


鋳車邸(地名)
 鋳車和観の家。能図工業団地の外れにある貸し長屋の一軒。


石杖所在(人名/悪魔使い)
 いしづえ ありか。1984年生まれ。
 悪魔払い。白髪だが、オリガ記念病院に入院するまでは普通の色だったようだ。ポリシーは『人生できるだけ楽に生きたい』。ジャンクフードと酒が大好き。ソフトドリンクがダメ。世話役を引き受けるかどうか決めるための面会に行ったところ、迦遼海江に一目でノックアウトされた。海江は嫌いだが海江の笑顔は大好き。
 いつも気だるく、自虐的だが前向き。一人でないと生きていけない弱い生き物。大抵のことは肯定するが、一つのものを二人で分けるという行為には難色を示す。元来出不精なうえ雇用主の迦遼海江が完全な引きこもりであるため、支倉市から出ない。クトゥルー神話作品を読んだことがあるようだ。
 支倉第十三号福祉施設の四階の端の部屋に住んでいる。退院直後は久織巻菜と久織伸也が起こした騒動から身を守るため福祉施設と実家を使い分けていた。
 支倉第一高校では野球部に在籍したが、最初から入っていたわけではなく二年生になってから他の活動と掛け持ちながら入部し、いきなりレギュラーとなった。以後は三年の夏まで代打要員として参加する。そこでは霧栖弥一郎が本気を出すまで天才打者と称されていた。
 2003年2月14日に妹の火鉈によって左腕を上膊の半ばから食われる。しかし食われた腕は火鉈の胃の中で蠢いており、しかもどう見ても所在が加害者で火鉈が被害者であった。その後、戸馬的に敗北した火鉈が反撃しようとしていたところを、頭をバットで強打することで止めをさした。そのときから火鉈の中での所在の扱いが『お兄ちゃん』から『(バカ)兄貴』に格下げになった。
 左腕の傷には外傷も後遺症もないが、どんなものであれ義肢をつけると無くした左腕が痛む。その原因は肉体として左腕を失ったが、概念としてはまだ持ちえているから。唯一合うのは迦遼海江の義肢。
 左腕を失ったときは大学生だったが、半年ほど通った頃に病院に送られ、およそ一年間A棟に収容されていた。戸馬的にできるだけ多くの患者と話せと言われていたので相手がどんな病状であろうが話しかけ、何度か殺されかけた。病院では例外的に分刻みの緻密な日課を送っていた。
 オリガ記念病院に入院した半年後の2003年7月にアゴニスト異常症患者としての治療プロセスが完了。2004年初頭に院内のトラブルに巻き込まれて退院を八月まで延期された。なおその退院は堂々としたものになるはずだったが、久織伸也の自殺事件により人目につかないように行われた。
 退院してから一月の間は石杖邸で生活していたが、石杖邸が売却されてからは支倉第十三号福祉施設に入居した。
 2004年8月9日に霧栖弥一郎と再会し、所在を騙ってドラッグを売っていた久織伸也(当然ながら世間は騙りであったことを知らない)のけじめをつけるためSVSに参加することになる。当初はけじめのため形だけ参加して三振するつもりだったが、対戦相手のピッチャーの球があまりに打ちやすかったためつい打ってしまう。8月16日にシンカーと出会ってSVSの対戦をするが、フルカウントになったところで日守秋星が乱入したため死を免れた。
 鋳車和観の悪魔払いを完遂したあと、暫定的にだが迦遼海江の左義手を自由に使用する許可を得た。
 2005年2月13日から14日にオリガ記念病院の壊滅をほぼリアルタイムで大幅に脚色した夢を見た。
 左腕を失ってからは物事に対する脅威を感じなくなるが、恐怖は感じる。悪魔憑きに左腕を食われた後遺症として昼間の記憶を夜になると失うようなる。昼間の記憶は体調によるがおよそ午前九時から午後六時、あるいは日没までのものが消える。夜の記憶は連続しているために記憶はメモで補っているが、そのメモが走り書きすぎてあまりに意味不明なため自分でも困っている。
 悪魔憑きではないが似たようなもので、1年半入院していた。はたから見れば実害のない悪魔憑き。
 迦遼海江の義肢の付け外しの仕事を月二十万円で引き受けている。
 やり始めたことは「きっちり終わらせておかないと甦ってきそうで怖い」ので途中で投げない。握手はしない主義。他人が作った音楽を聴くのは苦手。
 なお、火鉈を支倉坂の連続猟奇殺人事件の犯人だと思っている。


石杖所在の母(人名)
 石杖所在、火鉈の母。夫の雅道ともども2003年2月13日深夜から14日にかけて殺害される。


石杖火鉈(人名/悪魔憑き)
 いしづえ かなた。
 1988年生まれ。誕生日はおそらく2月13日。この名前には両親の願いが込められている。
 ブレインレス。モンスター。石杖所在をして『あんな殺人鬼を野に放されるなら、見ず知らずの悪魔憑きにやられた方が百倍まし』と言わせるほどの殺人鬼(これは所在の誤解と思われる)。所在の左腕を食った。医学的に見て既に人間ではない。道具を使うのは致命的に苦手。被害者といえば被害者、加害者といえば加害者。サンリオ系は好きではない。ザスーラ(原作絵本)を読んだことがある。
 石杖所在の退院の一年前、発病の翌日に十四歳で所在とともに病院に運び込まれた。そのときには戸馬的によってほとんどミンチにされていたのだが、三日間に及ぶ大手術の結果一命を取り留め、病院のD棟に収容されている。運び込まれたときの格好は血で真っ黒に染まったウエディングドレス姿。
 支倉坂の連続猟奇殺人事件の犯人として扱われるが、その犯人は月見里朋里であり、火鉈自身はその両親も含め一人も殺していないと思われる。もっとも所在の左腕は何の道具も使わずに平らげたが。だが2003年2月14日に連続猟奇殺人事件のため突入してきた戸馬的と交戦し、ただの人間である戸馬に敗北。しかし疲労の極致にあった戸馬的が自分から目を離した隙を突こうとし、ちゃっかり後ろに忍び寄っていた所在に頭をバットで強打されて止めを刺された。
 その後猟奇殺人事件の犯人として逮捕され、オリガ記念病院に入院することとなった。なおバットで殴られたときから所在の扱いが『お兄ちゃん』から『(バカ)兄貴』に格下げになった。忘れる記憶を選択できる自由こそを人間の長所、人間性の証明であると考えており、何の未練もなく毎日記憶を忘れ去ることができる所在を悪魔だと評している。所在の左腕を食って以降、肉は食べないことにしている。さらにその左腕はまだ完全に消化しておらず、2005年2月14日の時点でもまだじっくり味わっている。
 悪魔憑きとしての能力は身体能力が飛躍的に向上することだが、同様の症状を持つ月見里朋里よりも遥かに上を行く。当時は基本性能に頼っていたため、ただの人間である戸馬的に鍛え方で敗北。そのことがショックで、以来トレーニングを欠かさない。
 発病後に急速に成長したらしく、十四歳でありながら外見年齢は二十歳の美女とされる。サンドバッグを軽く八メートルかち上げるほどの力の持ち主。可視光線だけでなく赤外線も視覚できる。体重や体形についての話題を振ってきた相手はかなりの確率で殺している様子。
 オリガ記念病院での実験の際に神経ガスの過剰投与で死亡するが、あっさりと蘇生。以後さまざまな実験によって多種多様な死を体験・克服したため、現在では殺すことすら不可能。この死んでいる間は人体は完全に死んでいても脳は独立して機能していたらしい。このため、『まだ殺せる』という仮定を否定しないためにプレス機にかけるとか爆破して粉々にするとかいった殺害方法は試されることはなく、厳重に隔離するのが唯一の対策となった。だがそれも日々成長するため、2004年8月頃からオリガ記念病院のD棟が増築されていた。
 2005年2月13日に発生した暴動に乗じて患者を皆殺しにすべく病室を出て、D棟から順に殺していく。大熊猫目々を殺すべくD棟404号室に入るが、もくもくの宇宙に取り込まれてしまい、以降体感時間にして50年以上を目々と対話しながらもくもくの宇宙を見物して回っていた。しかし何一つ答えを出せない目々に業を煮やしてもくもくの宇宙を破壊することを決意し、以降2000年ほど星を破壊して回る。破壊した星の数は4000ほど。やがて火鉈が星を破壊するスピードは星が誕生する(=目々が想像する)スピードを上回り、ついにはもくもくの宇宙は崩壊した。
 そのときには度重なる進化により人の姿をしていなかったようだが、もくもくの宇宙での出来事は外に出ればリセットされるため、病室の壁をぶち破って元の姿に戻った。
 もちろん現実には火鉈であっても星そのものを破壊することはできないのだが、もくもくの宇宙はいわば概念的なものであるため火鉈のアゴニスト異常症の原因である『その星で最強である』という願望によりその星での最強の座を、そしてついには星そのものを一つの生命と看做し星自体を破壊することもできるようになった。
 その後午宮留是留を殺す。2月14日に患者と職員のほぼ全員を殺害し、正面玄関から堂々と退院した。


石杖ストレイドッグメンズ(用語)
 2004年8月13日に石杖所在が迦遼海江と野球盤で対戦したときに使用したチーム名。カリスマ的ピンチヒッターがおり、それを導入すれば一打席だけ高確率でホームランを奪えるという一点突破型のチーム。


石杖邸(地名)
 C県支倉市支倉坂二丁目に建つ一軒家。石杖所在の妹の事件で血と弾痕だらけになったが、修復されて空き家になっている。石杖所在の入院費の清算として2004年9月に売却された。


石杖雅道(人名)
 いしづえ まさみち。石杖所在、火鉈の父。妻ともども2003年2月13日深夜から14日にかけて殺害される。


石森(家名)
 支倉市支倉坂の石杖邸の二件隣、木崎邸と月見里邸の間に建つ家。


伊庭(人名)
 戸馬的の部下。おそらく戸馬的の四つの僕の一人と思われる。


今井敦(人名)
 支倉市警察刑事部捜査一課の刑事。戸馬的の部下。戸馬が所轄の財産を乱用するときに資料や令状などを取りに行く役割。



  


海風太刀野(人名/悪魔憑き)
 ヤマダβ。オリガ記念病院に入院していたB判定のアゴニスト異常症患者。2005年2月14日に石杖火鉈に殺された。


ウミガメの味(用語/俗称)
 →胡島はむる。



  


映画館(地名)
 正式名称不明。ふれあい通りにある映画館。
 映画が娯楽の頂点であった時代の遺物。小さな洋館を思わせる外観。現在多くなった総入れ替え制ではなく、入場券を買えばいつまででも居座れるタイプの映画館。客席数五十席足らずの劇場は螺旋階段を昇った二階にあり、スクリーンには緞帳が下りる。
 老爺が経営しており、フランスの恋愛ものばかり上映している。


映画館(地名)
 正式名称不明。支倉の駅前デパートにある全国規模の映画館。一回の上映ごとに入場料を取るシステム。


H(用語/俗称)
 →ハートレス。


A異常症(用語)
 →悪魔憑き


SVS(用語)
 2004年8月頃に支倉市で流行していたゲーム。2004年2月頃に霧栖弥一郎らによって考案された。SVSという名前はMVSからもじったもの。
 野球を投手と打者のみ、一打席に縮小したもので、三振(スリーアウト)を取れば投手の勝ち、ヒットを打てば打者の勝ち、というもの。基本的なルールは共通だが、細かなルールは状況に応じて適宜変えられる。
 審判は一応いるが、出会い頭にいきなり始まることもあるため必ずいるとは限らない。キャッチャーはその場でできるものが受け持ち、可能ならば審判を兼ねる。いなければ投げっぱなしとなり、これがピッチャーが最低六球を持ち歩くことがマナーとされる所以。
 バッターボックスとマウンドは基本的に公式の距離を守るが、必ずしも正面でなくてもいいし、両者の合意があれば距離を増やすこともできる。これはちゃんとした位置関係を定めるとゲームの開始に時間がかかってしまうので、一応観客もいるため回転率を上げねばならないからである。だがさすがに公式の最終戦はきちんとマウンドを作る。
 ビーンボールは当たったらピッチャーの負け、かわしたらその場に応じて勝敗を決していい。ボークなどは互いの野球魂に準じ、投球が始まったらタイムはかけられない。マウンド、ボックスから出ることはどんな理由であれ許されず、場所によってはリンチを受けかねない。ヒットの判定は内野を越えること、フライはアウトで内野ゴロはファウル、ヒット級の当たりでもピッチャーが捕球した場合は当然アウト。非公式の方ではピッチャーより後ろにノーバウンドで飛べばヒットという決まりになりつつある。
 最初はゲームとして運営されていたが、いつしか賭けの対象となっていた。なお公式戦は公園の使用許可をとっている。
 正規の参加者(投手9人、打者9人)にはナンバー入りの携帯電話(エースナンバーのみGPS搭載)が配布される。勝者は敗者のそれを集め、投手か打者のどちらかの携帯電話がすべて奪われたときにゲームは終了する。携帯電話を多く所有している陣営が勝者となり、その勝ち陣営の中で携帯電話を一番多く集めた者にそのゲームの最優秀賞が贈られる。なお携帯電話は投手が銀、打者が金で、打者は4番が最強打者の証。
 試合日程は決まっておらず、配布された携帯電話で連絡を取り合って選手たち自らが決める。そのためSVSの前半は情報戦、後半は実力勝負となる。勝利陣営には賞金が与えられ、最優秀賞には追加賞金も出る。しかしプレーヤーにとっては最優秀選手になると若者たちの顔役になれるというのが最大の報酬になっている。
 公園などで行われる真似事は非公式な賭け試合で二軍とされ、そこで優秀な成績を収めた選手と前回の試合の優秀選手が公式戦にエントリーされる。
 このゲームの悪口を言った者はどことも知れないカラオケボックスに連れ込まれ、陰惨な教育的指導を受けるという噂がある。
 もともとは野球部崩れのストレス解消のためにできたものだが、いつからか観客たちがどっちが勝つかで賭けを始め、大規模なゲームになった。投手と打者は当然ながら対立しており、集まる場所が違う。投手たちは支倉坂と能図の中間にある工業地帯のテナント工事現場を根城にしていた。


N県(地名)
 オリガ記念病院がある県。北陸であることから新潟県と思われる。


FH5.2.13(用語)
 2005年、石杖火鉈の17歳の誕生祝いに石杖所在に見せられた映像のファイル名。機密扱いなので一度しか再生されない。記録時間はおよそ二分。
 内容は火鉈の病室の監視カメラの記録映像で、ただサンドバッグにじゃれつく火鉈の姿が映っていた。
 なおファイル名はオリガ記念病院の者がつけたもので、おそらくFはフレイム(火)、Hはハチェット(鉈)、あとの数字は日付と思われる。


M92(武装)
 イタリアのベレッタ社製の自動式拳銃。戸馬的はこれを二挺使用している。
 全長217mm、重量975g、使用弾薬9mm×19、装弾数15+1発。
 同社のM1951がベースで、1978年から始まったアメリカ軍次期制式拳銃トライアルとともに改良が加えられ続け、1985年にM92SB/F(M92F)が圧倒的な動作不良の少なさと安価さでSIG P226を抑え、それまでのM1911にかわって『M9』の名前でアメリカ軍制式拳銃に採用された。
 現在では自動拳銃のスタンダードとされており、ベレッタ社の製品でもM92のデザインの流れを汲むものでないと不評を買いがちになることがある。
 バリエーションは以下の通り。

M92FS/M92FS Inox
 M92、M92S、M92SB(M92S1)、M92SB-F(M92F)と続いたM92の最新型。
 破損したスライドが射手に当たらないようにハンマーピンを大型化し対策したモデルで、現在はM9もFS型に切り替わっている。
 なおInoxとはステンレスシルバーモデルのこと。

M92FS Vertec/M92FS Vertec Inox
 M92FSの特殊部隊・法執行官モデル。
 主な変更点はグリップ後部のふくらみが無くなって持ちやすくなったこと、バレル先端が切り取られて全長が短縮されたこと、フレーム前方下部にマウントレールが設置されてオプションが装備できるようになったこと。

M92G Elite II
 M92FSをより使いやすいように改良を施したモデル。
 主な変更点はバレル先端が切り取られてステンレス製となったこと、グリップ上部を窪ませてグリップしやすい形状になったこと、ノバックサイト、ブリガディアスライド、スケルトンハンマーの使用、マガジン底にマグバンパーを追加したこと。

M92DS/M92D
 M92のダブルアクションオンリーモデルで、ハンマーが無くなっている。またM92Dにはスライド後部のセイフティが無い。

M92 Compact L
 M92のコンパクトモデルで、装弾数10+1発。このモデルもM92でスライドから出ていたバレル先端が切り取られ、全長の短縮が行われている。

M92FS Brigadier/M92FS Brigadier Inox
 ブリガディアスライドを装備した、強装弾対応モデル。


MP5(用語/武装)
 ドイツのヘッケラー・アンド・コック(Heckler und Kock/ヘッケラー・ウント・コッホ)が1960年代に同社のG3(HK31)のシステムを短機関銃に移植したもの。MP5とはMaschinenpistole 5の略で、当初はHK54と呼ばれていた。
 当時の短機関銃に多かったオープンボルト方式ではなくクローズドボルト方式を採用し、H&K社が得意とするG3のローラーロッキングシステムを取り入れたため、銃自体の振動が軽減されて当時の弾をばら撒くだけで『弾を当てる』のではなくむしろ『弾に当たれ』的な短機関銃とは一線を画す、目標に当てる事ができる命中精度を誇る。特にセミオート射撃では拳銃を上回る性能を持つ。
 しかし部品点数が多く整備性や信頼性に不安があり、高価であったため、発売当初H&K社はドイツ軍への納入を断念。それに替わる納入先としての西ドイツ警察や国境警備隊に配備され、他にはごく少数が輸出されただけだった。さらに拳銃弾を発射するには大袈裟すぎるという批判もあった。
 だが1977年のルフトハンザ機ハイジャック事件でMP5を装備したGSG9が事件を解決したことと、1980年のイラン大使館占拠事件でこのMP5を装備するSASの映像が世界に公開されたことでその地位を不動のものとした。現在MP5は世界各国の軍・警察で採用され、SWATや抗テロ部隊では標準的な突入用火器として使用されている。
 現在では度重なる進化によって性能が向上し、アメリカのSWAT、イギリスのSAS、香港のSDU、韓国のKNP-SWAT、日本警察の特殊急襲部隊(SAT)、銃器対策部隊、成田国際空港警備隊、特殊捜査班、海上保安庁の特殊警備隊、陸上自衛隊の特殊作戦群、海上自衛隊の特別警備隊など、警察系・軍事系を問わず、世界中の様々な対テロ部隊に配備されており、世界一有名なサブマシンガンとなっている。
 しかし近年では犯罪者がボディアーマーを着込むなど、防弾ベストを貫通できない9mmパラベラム弾では威力不足の感が否めない。そのため現在では世界的にMP5を手放し、完全な室内戦やCQB以外ではM4A1などのライフル弾を使うカービンタイプの突撃銃が使われる風潮がある。MP5シリーズもも10mmAUTO、あるいは40S&Wといった威力の大きい弾薬を使用する新モデルを追加しているがあまり成功していない。
 高性能な一方、複雑な構造から決して強固とはいえず、砂漠など過酷な環境での使用には難がある。またコストなどもネックになって、一般の軍用としての採用例はあまり多くない。
 しかしG3とメンテナンスや生産ラインを共用できるため、ノルウェーやイラン、トルコ、パキスタンなどのG3採用国の一部では一般兵向けにも支給されている。イランやパキスタンなどでライセンス生産されている製品は独自に輸出もされている。
 ハリウッド映画ではフルオート射撃ばかりが使われるが、本来は正確なセミオートやバースト射撃を旨とするため、フルオートは使われないことが多い(特にSWATなどのような警察特殊部隊では誤射や跳弾を嫌うのでセミオートが基本)。
 成功した銃だけにバリエーションは極めて豊富であり、ちょっとした変更を加えたものを含めれば100種類を優に超えるという。
 戸馬的が2004年12月31日に藤悟木更が立てこもるアミューズメントパークに突入する際に携行し、日守秋星との戦闘で使用した。

モデル

全長

バレル長

重量

口径

装弾数

発射速度

発射形式

備考

MP5

9mm×19

基本モデル/固定ストック

MP5A1

9mm×19

折りたたみストック

MP5A2

680mm

226mm

2540g

9mm×19

15/30/40

800発/分

S/F

MP5の改良型/固定ストック

MP5A3

550(700)mm

255mm

3080g

9mm×19

15/30/40

800発/分

S/F

A1の改良型/スライドストック

MP5A4

680mm

2540g

9mm×19

15/30/40

800発/分

S/3/F

A2のモデルチェンジ

MP5A5

550(700)mm

225mm

3080g

9mm×19

15/30/40

800発/分

S/3/F

A3のモデルチェンジ

MP5A5N(FS)

680mm

2540g

9mm×19

15/30/40

800発/分

S/F

A5の海軍向けモデル

MP5A5N(RS)

550(700)mm

3080g

9mm×19

15/30/40

800発/分

S/F

A5の海軍向けモデル

MP5F

9mm×19

A5のフランス向けモデル

MP5J

9mm×19

Fの日本向けモデル/俗称/
フラッシュハイダー装備/強装弾対応

MP5RAS

RAS搭載/折りたたみストック

HK94

10/30

-

S

民間向けモデル

MP5/10(MP10)

10mmAUTO

10mmAUTO弾モデル

MP5/40

40S&W

40S&W弾モデル

MP5SD1

550mm

2800g

9mm×19

15/30/40

800発/分

S/F

A1の減音器付きモデル/ストックなし

MP5SD2

790mm

3100g

9mm×19

15/30/40

800発/分

S/F

A2の減音器付きモデル/固定ストック

MP5SD3

670(805)mm

3600g

9mm×19

15/30/40

800発/分

S/F

A3の減音器付きモデル/スライドストック

MP5SD4

550mm

2800g

9mm×19

15/30/40

800発/分

S/3/F

SD1の3点バーストモデル

MP5SD5

790mm

3100g

9mm×19

15/30/40

800発/分

S/3/F

SD2の3点バーストモデル

MP5SD6

670(805)mm

3600g

9mm×19

15/30/40

800発/分

S/3/F

SD3の3点バーストモデル

MP5SD-N

670(805)mm

3600g

9mm×19

15/30/40

800発/分

S/F

SD6の海軍向けモデル/3点バースト廃止

MP5K

325mm

2000g

9mm×19

15/30/40

900発/分

S/F

MP5の小型版

MP5K-PDW

368(603)mm

2780g

9mm×19

15/30/40

900発/分

S/F

折りたたみストック装備/USA支社が開発

MP5KA1

9mm×19

15/30/40

900発/分

簡易照準器装備

MP5KA4

325mm

2000g

9mm×19

15/30/40

900発/分

S/3/F

Kの後継

MP5KA5

9mm×19

15/30/40

900発/分

KA1の後継

MP5K-N

358mm

2000g

9mm×19

15/30/40

900発/分

S/F

MP5Kコッファー

6570g

9mm×19

15/30/40

900発/分

S/F

アタッシェケースに隠して撃つセットモデル

SP89

Kの民間向けモデル/フォアグリップ廃止


MVS(用語)
 Multi Video System。SNKが発売したアーケードゲーム基盤。またその基盤を導入した筐体もこう呼ばれる。ハードウェアスペックとしては同社の家庭用ゲーム機ネオジオと同等。


エロンチャ(用語)
 ツラヌイ語。扇情的でヤンチャ、という意味らしい。



  


大熊猫目々(人名/悪魔憑き)
 おおくまねこ もくもく。
 銀河最強ニート。別次元とさえ言える自己領域に引き籠もった男。オリガ記念病院D棟404号室に入院していたD判定のアゴニスト異常症患者。2005年2月14日に石杖火鉈と出会って死亡するも、火鉈をして『超強敵、超無敵』と言わしめるほど強く、火鉈が勝ったのは紙一重だった。
 でっぷりと太った外見年齢で30歳過ぎの男。18歳から引きこもり始め、石杖火鉈の言葉から2005年2月13日現在は36歳と思われる。映画版のジュマンジを観た事があるという発言から、もくもくの宇宙が発生したのは1995年12月15日(アメリカ及びカナダでの公開日。日本は1996年3月20日)以降であることがわかる。本人も10年ほどもくもくの宇宙に引きこもっていると言っている。
 フェアレディ号と名付けた畳でもくもくの宇宙を飛び回る。宇宙の歴史についてはビッグクランチ説を支持している。屋敷戸京麻とはB判定だった頃に一度だけ電話越しに会話したことがあり、どちらが先に死ねるか賭けた。
 外部に対しての興味を一切失って引きこもったあげく、全く新しい宇宙を創造した。このため彼を外に出すことは不可能となり、その宇宙が詰まった部屋ごとオリガ記念病院に入院することとなった。この宇宙は現実の宇宙とは違う。またたとえこの宇宙に入って生存できる者がいたとしても、それが大熊猫に危害を加えることはできない。そもそもこの宇宙そのものさえ大熊猫に影響を与えることはできず、大熊猫も宇宙に影響を及ぼすことはできない。要するにもくもくの宇宙の因果法則から外れているのである。
 外部に一切の関心を持つことができなかったが、それでも両親が自分をどれだけ愛していたかはテキストとして読み取ることができたため、両親の仕事を知れば彼らに関心が持てるのではないかと思い父と同じく地質学に傾倒していった。しかしそれも実を結ばず、やはり引きこもったままだった。
 2005年2月14日に404号室に立ち入った石杖火鉈と体感時間にしておよそ90年以上をともに過ごすが、目々の煮え切らなさに業を煮やした火鉈はもくもくの宇宙そのものを破壊して外に出ることを決意。途中から火鉈が星を破壊するスピードが星が誕生する(目々が想像する)スピードを上回ってゆき、およそ2000年をかけて4000もの文明を破壊した。それによりもくもくの宇宙は消滅し、火鉈は外に出て行った。
 実際には彼は既に何年も前に死亡しており、もくもくの宇宙が消えたもとの部屋には白骨死体が転がっていた。火鉈は大熊猫と過ごすうちに彼を殺す気がなくなっていた。


大熊猫目々の父(人名)
 地質学者で、よく目々に地球についての話をしていた。目々については、妻よりも先に諦めた。


大熊猫目々の母(人名)
 感情的な女性だったが、目々については夫よりも諦めが悪く、ついに諦めてオリガ記念病院に連絡を入れたのは夫が諦めた二年後。


お巡りさんリンチ事件(用語)
 2004年7月頃に起きた事件。
 能図工業団地の住人が『あの棟の人たちはおかしい』と交番の警官に相談し、その年に配属されたばかりの新人警官が件のオの13番棟に吶喊。翌日から行方不明となり、七日後にゴミ捨て場に物言わぬ廃棄物として捨てられているのをゴミ収集車の運転手が発見した。警察は威信をかけて調査をしたが、有力な手がかりは一切なく、迷宮入りした。
 なおオの13番棟は地図に載っていない。


オリガ記念病院(地名)
 陸の孤島、電子の密室(電磁暗室かは不明)。患者と病院に勤務する者を合わせておよそ800人、2004年8月の時点で患者が約600人とのことなので、職員は約200人。一応は慈善団体らしいが、正体不明。
 C県支倉市から高速道路を使って三時間の場所にある。中は染み一つない白一色で統一されている。十メートル近いガラス張りの正面玄関は外部からコンクリートでふさがれており、出入りには屋上のヘリポートを使用するしかない。
 およそ十年前、悪魔憑きの感染者確認から十年後に北陸のどこか(N県)に建設中だった市立病院を国が買い取って整備する形で開院した。
 一度入院したら完治するまで外出はもとより肉親との面会も許可されていなかったが、予算の関係と人権保護団体に叩かれたために2004年になってからは模範的な患者ならば退院できるようになった。ただし退院したのは久織巻菜と石杖所在の二人のみ。
 退院後は親族の許、あるいは施設に住み、就労していない患者には最低限の食費も支給されるが、監察医がつく上に近隣で事件が起きるたびに取調べを受けることになる。また頻度は人によって違うようだが、監察医に定期的に連絡をしなければならない。退院時に運転免許はすべて破棄され、保険証や住民票などは新たに交付される。以後は運転免許証もパスポートも再交付されることはない。
 その機密性の高さは社会に誤った情報が流れることの防止と患者たちのプライバシー保護のためであるが、あまりに高いため問題視されている。
 外来診察は一切なく、悪魔憑きを収容、治療、あるいは監禁するためだけの施設である。広大な敷地に五つの病棟(A〜D棟、ほかに一棟)があり、反面スタッフは百人単位という少なさ。中庭は高い壁に囲まれているものの開け放たれており、待合室はガラス張り。A棟の待合室には民放だけ映るテレビがあるが、競争率が高い上に病院側が外部の情報を与えられた患者を観察している。
 病棟は症状の等級別に分けられており、ほかの病棟に散歩することを許可された患者は自由時間に隣り合った病棟(AならばB、CならばBとD)にだけ出歩ける。自由時間の終わりはその始まりに聴かされた音楽を流すことで知らせる。なお病室から出るにも許可が必要で、過去に暴力的な事件を起こしていない患者にのみ許される。患者服は悪魔憑きの判定により異なる。患者にはそれぞれあだ名がつけられているが、それは石杖火鉈がつけたもの。
 A棟に収容されるのは、患部はあるが新部がない者、A異常症患者によって傷を負い後遺症を持ってしまった真っ当な患者。絵画や遊戯の道具を借りることができる。
 B棟に収容される基準はよくわからないが、久織巻菜の見立てでは新部が比較的安定しており、ぎりぎりで治療が現実的であり手術の許可が出そうな者。一番患者数が多く、待合室が豪華。
 C棟には病状が安定した患者が収容される。心が壊れたままの患者は病室から出ないし、自由行動を許可された患者は安定しているため暴れだすことはないためB棟よりも安全である。
 D棟に収容されるのは末期の患者。治療、切除が不可能、あるいは成体。生きているのは三人程度で、他に四十体ほど入室している。患者の多くは光を恐れるため照明が薄暗い。通路が六メートルごとに交差し、どこを見ても同じ見た目。
 悪魔憑きのみに影響を与える患者が収容されているらしく、ある患者は行方不明者を二人出している。D棟の室内プールはみっちり内蔵のようなもので満たされており、それが一人の患者なのだが、生きているので取り出せない、などという怪談があるのだが、その室内プールの鍵が閉ざされているので真相は不明。D判定の患者は40人ほど収容されていたが、中には状態が悪性なだけで本人は指一本動かせないような患者もおり、石杖火鉈のように速やかに大量殺人を犯せるような者は10人程度。
 なおD棟には病院で一番金がかかっており、そこの警備員は短機関銃を装備している。D棟には窓が一つもなく、通路は賽の目状に区切られており現在位置を見失いやすい構造になっている。これは患者を外に出さないための配慮。
 悪魔憑きを風邪のようなものと言い切る石杖所在さえもD棟を怪獣墓場、そこに収容される患者を正真正銘の悪魔、医学的にみれば宇宙生物みたいなものだろうと評した。
 患者の日課は病状が重くなるにしたがって空隙が増え、C棟のタイムスケジュールは朝六時に起床、七時に朝食、食後に診察、あとは昼食と夕食、というもの。A棟とB棟の患者は入院患者らしい生活を送っている。
 A棟の診察室は広く、部屋が傾いでいて、患者用の出入り口が下方、病院関係者が使う出入り口が上方にある。二階あたりの壁にガラス張りの覗き部屋がある。
 檻我鞠音がEとされていることから、おそらくA〜D棟のほかにE棟があると思われる。A棟は中央棟とも呼ばれる。
 2005年2月13日22時にC棟患者の些細な規律違反(病室の鍵のかけ忘れ)をきっかけに暴動が発生し、14日0時にはA棟三階まで占拠されるが、保安部隊の出動により速やかに鎮圧された。しかしC判定の患者によりD棟の施錠が解除され、石杖火鉈により患者と職員のほぼ全員が殺害される。その後石杖火鉈は正面玄関から堂々と退院。


檻我鞠音(人名/悪魔憑き)
 読み不明。おりが まりね?
 夢見がちファッキン泥棒猫シエスタ。オリガ記念病院に入院していたアゴニスト異常症患者で、E判定らしい。2005年2月14日に石杖火鉈が戦おうとするも、特別病室でとっくに死亡していた。



  


画面潰し(人名・俗称/悪魔憑き)
 ブラクラ。本名不明。10代後半の少年。目から細さ0.1ミリメートルの神経を膿み出し、目標の眼球に侵入することで視覚を強制占領し、極悪に捏造した映像や記憶を焼き写すことで記憶野まで塗りつぶす視覚障害を負わせる悪魔憑き。
 射程は50センチメートル以内で、この画像は一生涯視界の三割に貼り付いて消すことはできない。これは脳に染み付いた映像であるため、眼球を潰そうと関係ない。
 彼はこの新部で幾度となく軽犯罪を犯し、コンビニ強盗でおよそ200万円を強奪したが、その金銭的利益よりも人間の眼を潰すことを楽しむ愉快犯だった。2004年11月までに八人の眼を潰し、その中には廃人となった者、自殺した者もいた。
 2004年11月に日守秋星に殺された。その死体は切り傷や刺し傷だらけだが一滴の血もこぼれていなかった。


迦遼海江(人名/悪魔使い・悪魔?)
 かりょう かいえ。
 美少女のような美少年。正真正銘の悪魔だという。年齢としては十四か十五歳。絹のような長い黒髪と男なら誰でもノックアウトされるような可憐な顔立ちをしている。
 性悪。残酷無情。ひとでなし。一人では生きていけない強い生き物。感情豊かで、愉快なことがあればケラケラ笑い、悲しいことがあれば天使のように微笑む。神が完全無欠で全知全能なら、悪魔は荒唐無形で人知無能でなければならない。
 人間が大好きで、どんな仕打ちを受けても文句は言わない。しかし、どんなに親しい仲になっても「外に出よう」と言うと完全な敵として認識される。人間が大好きではあるのだが、人間にまったく思い入れがない。本物と偽物に拘っており、偽物、つまり悪魔憑きを許さない。携帯電話は好きだが電話という行為は嫌い。
 偽物が大嫌いだが、患部と新部が彼にとっての貴重な栄養源。そのためか、食事を取った直後でも常に空腹。『治療』のため貯水庫を訪れたアゴニスト異常症患者を食べているようだ。
 四肢がなく、それを人の感情の名を冠した義肢で補っている。ただし機能と付け心地は別物で、大抵はベッドで横になっている。排泄の際は義肢を装着して自分でトイレに行く。一度袖を通した服は二度と使わない。
 裕福な家の生まれで、義肢の付け外しのためだけに石杖所在を月二十万円出して雇っている。ただし飲食費は給料から天引き。日当制や前払いが大嫌い。
 彼が住むのは森の中にある十メートル四方の立方体の緊急時用貯水庫の地下の部屋。そこは私有地で、もともと大きな屋敷があったがすでに取り壊されている。貯水庫の存在自体がほとんど知られていないうえ、その下の部屋の存在を知っているのは石杖在処、戸馬的などごく少数である。
 彼が使っているベッドは真横から出ないと顔が見えないように配置されている。
 彼の義肢は左腕が憎悪、右腕が歓喜、右足が悲哀。カタチだけならば他の義肢から分けてもらうことができ、おそらく実際に残っているのは右足の悲哀と左腕の憎悪のみ。義肢として装着していなくても操ることは可能。なお歓喜はHandSで久織巻菜に貸し出されたまま。
 死徒二十七祖のメレム・ソロモンと相似点があるが、直接的な繋がりはない。DDD自体、月姫やFateとは接点のない話である。


迦遼邸(地名)
 1986年に迦遼邸事件が起こり、同年に取り壊された。現在はまっさらな畑と森になっている。
 周囲には使用人や親戚が住む民家があった。なお使用人は苗字に鳥や魚など、動物を表す漢字が入っていないと雇わなかった。
 迦遼海江が住む貯水庫の地下室はもともと屋敷の離れ、蔵らしき場所だった。


迦遼ディーヴァーズ(用語)
 2004年8月13日に迦遼海江が石杖所在と野球盤で対戦したときに使用したチーム名。ピッチャーが豊富で守りに特化している。


迦遼邸事件(用語)
 詳細不明。1986年に起きた。


彼野沢集団自殺未遂事件(用語)
 1999年からC県で発生していた事件。日守秋星がこの被疑者と目された。


彼野市(地名)
 かれのし。
 C県最南部の市。


彼野市警察署(地名)
 彼野市の警察。


歓喜(悪魔)
 迦遼海江の右義手。義手でない状態の姿は不明。察するに蛇だろうか。
 HandSで久織巻菜に貸し出したままになっていたが、J the Eでは戻ってきている。


患部(用語)
 アゴニスト依存症患者において神経伝達物質を異常分泌させる部位。


鑑別所(地名)
 八坂代の駅前からやや離れた十階建てのカラオケビルの四階。霧栖弥一郎らの不良グループが利用している施設で、霧栖がフロア全体を借り切っている。ホテル代わりに利用されており、家出中の少年少女や行方をくらましている人物を匿うための部屋もある。このフロアだけ他のフロアより照明が暗い。
 1フロアに20室あり、建物の南側中央にエレベーターがある。エレベーターホールから西に向かい、突き当りで北に折れて、さらに突き当たりで東に折れて、また突き当たりで南に折れて、その上突き当りで西に折れるという通路があり、その左右に部屋が配置されている。一番奥の部屋がルームナンバー20。なお通路は最終的に行き止まりとなっており、一周することは出来ない。
 一階にロビーがあり、残る全てがカラオケルームとなっている。建物全体では最大で800人弱を収容することができる。



  


木崎(人名/悪魔憑き)
 支倉坂の石杖所在の家の三軒となりに妻と娘とともに住む男性。
 過労によって悪魔憑きになる。患部は首、新部は煽動で、目を合わせた者に自分の動きを強制させ、自分の首を回すことで殺す。彼の首は三百六十度マルチウェイなのでそれによって自分が死ぬことはない。
 会社で何らかのミスをしてしまい、生きているうちに返済することができないほどの借金を負う。上司に首を吊れと言われ、払われる一週間前に妻子に黙って会社を辞めた。それを知った妻子は金を残す死に方をしろと言ったが、そもそもそれに疲れた木崎はその場で首を回して自殺する。が、悪魔憑きの能力によって妻子を殺害し、自分は生き残るという結末に終わる。
 その後に彼の電話を聞いて駆けつけた警官二人を殺害する。
 2004年10月12日(雑誌掲載版では9日、ただし年表では9月某日)に石杖所在によって倒されるが、殺されてはいない。


木崎邸(地名)
 支倉坂二丁目ノ四ノ七。石杖邸の三軒隣。
 9月12日(雑誌掲載版では9日)に石杖所在に金銭目当てに侵入された。後に悪魔憑きとなった木崎氏により一家心中めいた事件が起こり、10月12日(雑誌掲載版では9日、ただし年表では9月某日)に石杖所在に払われた。


キヌイ(人名)
 病院に勤務する医師。通称ドクターロマン。堂々とロマンティックなことを言い放つ。ロリコンらしい。
 悪魔憑きは伝染しないという説を証明するようになんの恐れもなく患者たちに接している。
 2005年2月14日にオリガ記念病院が壊滅してから生死不明。


貫井(人名)
 詳細不明。キヌイ医師のことだろうか。


絹衣総合病院(地名)
 C県中部にある病院。日守秋星が1995年から三年間入院していた。


貫井未早(人名)
 (苗字の読み不詳。キヌイ?)みはや。十九歳。 誕生日は10月半ばから12月31日の間。2004年の大晦日には20歳。
 通称ツラヌイ。いいところの箱入り娘で金満学生。見た目はまだ高校生みたい。兄がたくさんいる。石杖所在とは高校からの腐れ縁で所在が好き。明朗快活、裏表のない性格、嘘もつけないマキシマム善人。欲しいものは欲しい、食べたいものは食べたいという我慢のきかない現代っ子。発言から行動まで数秒かからない。よく食いよく飲み、酒に強い。怪談は嫌がるが死体系は平気。
 携帯電話を頻繁に買い換える。携帯電話でロボットを作るのが夢。
 真面目に護身術を嗜んでおり、霧栖弥一郎の殺す気のタックルでもまったくダメージを与えられないばかりか逆に関節技をかけるほどの腕前。SVSに賭ける側で参加していた。
 良識人ではあるが、行動が原始的かつ刹那的であるため四六時中厄介ごとを招きよせる。別名、歩くバッドフラグ。
 きわめて料理が下手で、指を切りまくるうえ米さえ焦がす有り様。しかしある意味では凄い技術を持っており、唐揚げと見せかけて中身は賞味期限ギリギリのイシイハンバーグという珍妙な料理を作る。
 工場地帯の端の、もとはパン工場の女子寮だった家賃がべらぼうに安くて男子禁制のアパートに住んでいる。
 古いバンを騙されて買ったことがあり、寮の倉庫代わりに使用されていたが2004年12月31日に月見里朋里を見張るために石杖所在の要請で持ち出された。
 石杖所在が通っていた大学の生協の食堂のまぐろ丼定食が主食。ちなみに彼女が在学しているのは工業地帯にある女子大。
 迦遼海江の住処である森の貯水庫の地下室に入っても普段のハイテンションぶりは健在。四肢のない海江を見ても特に恐れるとかおぞましいとか感じることはなく、男であることに安心したというかそれはそれでまずいとか考えていた。


キャッチャー(人名)
 本名不明。霧栖弥一郎、鋳車和観とともに野球をしていた少年。霧栖の近所の草野球仲間で、野球好きだが家がリトルリーグに入れてくれないという事情もあり霧栖たちのゲームに加わった。技術、性格、家庭環境に至るまで霧栖と鋳車の中間。
 霧栖、鋳車とともにリトルリーグに参加する。その後、悪魔と名乗る男に『全打席ホームランを打ちたい』と願ったが、その翌日の草野球でホームランを打てず、その夜に死亡。強盗殺人といわれているが犯人は不明、怒鳴りあう声が聞こえたことから家庭内暴力の延長との噂もある。


90式戦車(用語/武装)
 陸上自衛隊の第三世代戦車。愛称は『キュウマル』、英語表記はType-90 tank。
 1970年代中ごろから防衛庁技術研究本部第4研究所と三菱重工業が中心となって開発が開始されたといわれる。当初はエンジン、主砲、射撃統制装置、サスペンション、装甲と各部が別々に開発されたが、1980年代に試作車両が完成。日本が得意とする複合装甲を採用したため、約50tと軽量でありながらM1A1エイブラムスを若干上回るほど高い正面防御力を有している。
 試作車は合計6台が作られ、1989年12月25日に防衛庁装備審議会議で正式採用が決定、1990年8月6日に90式戦車として制式化された。車体の開発・生産は三菱重工業が請け負い、主砲は日本製鋼所がドイツのラインメタル社製44口径120mm滑腔砲Rh120をライセンス生産した。
 主砲の弾種はAPFSDS(離脱式装弾筒付翼安定徹甲弾)とHEAT-MP(多目的対戦車榴弾)。照準具安定装置、自動装填装置、熱線映像装置、各種のセンサーと連動したデジタル計算装置によって正確な走行間射撃を可能としている。
 多くの国産ハイテク技術が導入された射撃統制装置や自動装填装置を用い、射撃には大容量のデジタル弾道コンピュータとジャイロを併用する事で、たとえ目標及び自機が移動していたとしても世界最高水準の高精度な行進間連続射撃が可能となった。また砲弾は薬莢が燃えて無くなる仕組み。
 しかし狭い日本の演習場では行進間連続射撃や最大射程射撃訓練などが十分に出来ない為、平成4年度より毎年9月にアメリカ・ワシントン州のヤキマ演習場に90式戦車を持ち込んで戦闘射撃訓練などを行っている。平成14年度からは演習徹甲弾の導入により富士総合火力演習でも行進間射撃が披露されている。
 富士教導団戦車教導隊、第1教育団第1機甲教育隊、武器学校、第7師団第71戦車連隊・第72戦車連隊・第73戦車連隊、第2師団第2戦車連隊内3個中隊(第2戦車連隊は6個中隊保有)、第5旅団第5戦車隊、北部方面隊第1戦車群に配備されている。
 調達価格は制式化当初には1台10億円近かったが、長年の量産効果で現在では7億2500万円まで下落している。

 全長:9.76m
 車体長:7.55m
 全幅:3.33m(スカートを含めて3.4m)
 全高:2.34m
 重量:50.2t
 懸架方式:ハイブリッド(油気圧・ショートンバー併用)
 最高速度:70km/h
 行動距離:350km
 登坂能力:tanθ約60°
 旋回性能:超信地
 主砲:44口径120mm滑腔砲 Rh120
 副武装:74式車載7.62mm機関銃、12.7mm重機関銃M2
 装甲:複合装甲(砲塔前面及び車体前面)
 エンジン:三菱10ZG32WT 水冷2サイクルV型10気筒ターボチャージド・ディーゼル(1500 ps/2400 rpm(15分間定格出力)、最大トルク 4410N・m(450kgf・m)、排気量 21500cc)


霧栖弥一郎(人名)
 石杖所在の相棒。身長180cmを超える巨漢。貫井未早いわく、手足長すぎてサルっぽい。所在の一歳下。かなり貧乏で、高校卒業後は八坂代に住んでいたが、2004年8月以降は支倉第十三福祉施設の所在の部屋に同居している。一人っ子。女好きで、外見だけなら石杖火鉈が好み。簡単な鍵開けができる。筋トレが趣味っぽい。彼の田舎では竹を食用とする。可愛い女性なら満遍なく好きになるが、本気で惚れる相手には出会えない。
 将来のために現在を犠牲にするという考えがそもそも浮かばない根無し草で、繁殖の義務さえ果たせばあとは好きにさせてくれ、という生き方をしている。自分には人並み外れた逆境で戦えるだけの強さがないとして自分を平凡だと考えており、同じ理由でその強さを持つ鋳車和観を尊敬していた。
 並外れた静止視力と神経伝達速度、瞬発力と一点集中のためどんな球種であろうとストライクゾーンに入る限り苦もなくジャストミートできるという天才的なスラッガーだが、野球を生活の手段にするという発想はまるでなく、野球は楽しむためにやっていた。ホームランを打つと嘔吐する、というか打つと嘔吐する。通算打率四割五分。
 六歳のときに祖父に野球の才能を見出されたが頑として野球はせず、野球を始めたのは小学二年生になって一人で投球練習をしていた鋳車和観と出会ってから。六年生のときに鋳車、キャッチャー役の少年とともにリトルリーグに入るが、他の選手との実力差から孤立していた。なお小学校を卒業してからは鋳車とは会っていない。中学に入ってからはあまり力を入れず自由に野球を楽しみ、不良学生として過ごした。支倉第一高校に進学してからもそちらの関係を絶たずにおり、一年生の秋に兄貴分の学生の兄貴分として西野晴墨と出会う。
 2001年の秋に鋳車和観を二度とボールが持てないようにすると宣言した青柳正を襲撃し、瀕死の重傷を負わせる。そこに居合わせた西野によって青柳は処理されたが、このことで霧栖は西野といわば一蓮托生になってしまう。またこれ以後、ボールは生首に、インパクトは人間の頭部を砕く行為に変貌してしまった。これがホームランを打つと嘔吐する理由である。それでも三年の夏まで野球を続けたのは鋳車との約束のためであった。
 2002年(高校三年生)頃には天才ピッチャー鋳車と並ぶ天才スラッガーと称された。『人を殺しかねない野球選手』と呼ばれたその腕は凄まじく、初球からホームランを打つほど。ある時期から相手をしたピッチャーは霧栖とは二度と勝負したくないと泣き言を言うようになった。
 2002年の夏の地区予選三回戦で鋳車をリリーフに擁するコアラヶ丘高校と対戦することになり、その前日に鋳車から『容赦なく打ち崩してくれ』と頼まれた。だが先発から二本のホームランを奪ったところで失神してしまい、鋳車と対戦することはできなかった。その後は多くのスカウトを断って野球をやめ、以後はボックスに立つどころかSVSにすら参加していない。そもそも二年生の秋に彼にとっての野球は終わっていた。だが素振りだけは毎日欠かさず行っている。また2004年8月18日の鋳車和観との対戦以後は遊び程度なら野球をするようになった。
 小学生の頃に鋳車とキャッチャーの少年とともに帽子の大人から願いを叶えてやると持ちかけられたが、そんなものはいらないと断った。
 2003年(2004年ともとれる記述があるが、2003年だろう)に高校を卒業してからは進学も就職もせず、荒事に手を染めるようになり、半年足らずで八坂代の不良の顔役にまでなった。そのため七瀬組に目をつけられて拉致され、『お説教』を受ける直前までいったが組長に猛烈に気に入られたために暫定案として西野晴墨の弟分として扱われることとなった。
 久織伸也の覚醒剤密売組織を潰した。
 2004年8月14日に迦遼海江ならば悪魔憑きを治せると思って森の貯水庫で海江に会うが、そのときの貯水庫の地下室の風景をおぞましいと恐れた。
 霧栖の一家は父親の栄転のため支倉市に来たのであり、両親は栄転が終わったことと霧栖の高校卒業を機に父方の実家に戻ったが、霧栖自身は支倉市に残り、八坂代(鑑別所)に居を構えた。
 2004年8月9日に石杖所在を騙ってドラッグの密売をしていた久織伸也のけじめをつけるため支倉第十三福祉施設の所在の部屋を訪れ、ゴールドの四番の携帯電話を渡してSVSに参加させる。連続殺人鬼シンカーとなった鋳車を止めようとするが、会って対戦することは頑なに拒んでいた。だが8月18日には能図の工業地帯の端にあるテナント建設現場の直角に曲がる通路で鏡越しに鋳車と対戦し、見事に打ち崩す。
 2004年10月には長野の令嬢が悪魔憑き(たぶん狂言)になったようで、そのお守りに行っていた。


霧栖弥一郎の祖父(人名)
 本名不明。戦前は野球選手で、霧栖弥一郎に体幹の鍛え方を教えた。弥一郎の才能にほれ込んで彼が六歳のときに養子にほしがっていた。


銀河最強ニート(用語/俗称)
 →大熊猫目々。



  


クラインキューブクラインネス(用語/俗称)
 →倉密メルカ。


倉密メルカ(人名/悪魔憑き)
 くらみつ めるか。
 出口なき脳髄陥穽。クラインキューブクラインネス。敗戦主義者。オリガ記念病院に入院していたD判定のアゴニスト異常症患者。2005年2月14日に石杖火鉈と戦い、火鉈の中に逃げ込んだために倒されないが逃げられないという状況に陥る。



  


コアラヶ丘(地名)
 支倉市の地名。


コアラヶ丘高等学校(地名)
 私立コアラヶ丘高等学校。支倉市にある高校。支倉第一高等学校とはライバル関係にある。ともに野球部に力を入れており、攻めの倉高、守りのコアラと言われている。鋳車和観、瀬倉弓夜、有島将吾らが在籍した。
 2002年の夏の地区予選三回戦では支倉第一高校と対戦し、霧栖弥一郎に先発を打ち崩されるも霧栖が失神したこともあり、勝利を勝ち取る。2003年の夏の地区予選決勝ではエースの鋳車和観が当日に故障して降板したためリリーフの瀬倉弓夜が代わりとなるも、敗退。


工業団地西入口(地名)
 能図工業団地近く、あるいは工業団地内のバス停。支倉駅からバスで30分ほど。


孔徳院(地名)
 C県にある高校。権堂が在学した。野球部が強豪でC県の優勝候補だったが、2004年の夏は地区予選で敗退。


声消し楽曲(用語/俗称)
 →誠子美雄。


氷の花(用語/俗称)
 →夜口止々也。


胡島はむる(人名/悪魔憑き)
 ことう はむる。
 ウミガメの味。オリガ記念病院に入院していたD判定のアゴニスト異常症患者。毒物系の能力を持っていたらしい。2005年2月14日に石杖火鉈に殺された。
 『人体を瞬く間に腐敗させてスープ状にする子供』『生まれつき固形物を摂れない体のため、ついにはあらゆる命を液化させて食べるようになった少年』だろうか。


コマギリ(人名)
 2002年のコアラヶ丘高校の野球部のエース。地区予選三回戦では支倉第一高校と対戦し、霧栖弥一郎に二本のホームランを奪われて降板。


権堂(人名)
 孔徳院高校の野球部に在籍した。左打者。ホームランは少ないものの、変化球に強く、そのシーズンの最高打率を記録した。ただし鋳車和観のシュートとは相性が悪い。SVSに出場していたようで、2004年8月13日の夜に鋳車と対戦し、命こそ取られなかったものの肘に球を当てられて選手生命を断たれる。




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