T.アーカムシティ近郊


 聳え立つ鋼の巨人。対峙するは醜悪な畸形じみた巨人。鋼は清浄なる刃・デモンベインであり、畸形は恐るべきヨグ=ソトースの落とし子だ。
 畸形が絶え間なく唸り声をあげるのに対し、鋼の巨人はかたくななまでに無言を貫く。しかしその内部から巨人の声ではない二つの声が響く。
「ティマイオス! クリティアス!」
「断鎖術式壱号弐号開放!」
 大十字九郎の操縦とその魔道書アル・アジフのナビゲートによりデモンベインの両脚シールドに装備された時空間を歪曲させる装置が開放され、全長五十メートルの鋼の巨人から圧倒的な破壊力を持つ回し蹴りが放たれる。畸形の巨人は畸形であるがゆえに肉体を自由に操れず、防御ができない。
 迫るデモンベインの近接粉砕呪法――
「アトランティス・ストライク!」
 振り上げられた脚の周囲では、舞い上がった瓦礫が落下し、迷ったかのようにゆらりと浮上し、やがて地球の重力を思い出して再び落下する。超重力により極短時間ではあるが時間が逆行しているのだ。それほどの重力エネルギーを叩き込まれ、ヨグ=ソトースの落とし子はその形状を大きく崩す。が、その忌まわしい父親のようにこの世界の物理法則に従わない落とし子は徐々にだが回復してしまう。
「これじゃキリがねえ!」
 二挺魔銃を顕現させて落とし子に撃ち込むが、やはり回復を妨げるくらいの効果しかない。このままではどうにもならない、いや、逆に押されるかもしれないと九郎が歯噛みする。しかし助けは間もなく訪れた。
『周囲10キロメートル、住民の非難が完了しました。心置きなく化け物を倒してくださいね、アルたん』
 通信装置からオペレータであるマコトの声が流れる。これで手加減してやる必要はなくなった。
「アルたん言うな!」
 特殊な性癖を持つマコトにはアルのその罵声さえも快感なのだろう。スピーカー越しに妙な息遣いが聞こえてくる気がしたが、九郎は妙な想像をめぐらすのをやめて必滅の呪法を開始する。
「うっしゃ! ヒラニプラ・システム、アクセス!」
『言霊を暗号化、ナアカル・コードを構成せよ!』
 アクセスとほぼ同時に司令官である覇道瑠璃から暗号化された言霊が送信され、デモンベイン第一近接昇華呪法の制御システムのロックが解除される。
「光差す世界に、汝ら暗黒――棲まう場所なし!」
 デモンベインの右掌に超高密度の呪法塊が出現する。それの危険さを察知したのか、落とし子が必死に逃走を試みる。恐ろしく巨大化し、畸形じみてはいたが辛うじて人間の形を保っていた姿を捨て、肥大化した肉の塊としか見えない正体を現す。そしてその巨体に比すればほんのちっぽけなものだが、その触腕の一つには薄っぺらな小冊子――魔道書『魂の射出』が握られていた。
「ぁあぅああいうぁがぁらぁらぁぃあぁ―――」
 かすかな詠唱が響く。落とし子が『魂の射出』を使用せんとしているのだ。
「そうか、奴はそのほとんどがアストラル体のようなもの……ならば『魂の射出』で転送できぬ道理はない!」
 落とし子は空高く舞い上がり、魔力と『魂の射出』によって生み出された門へと泳いでゆく。
「逃がすかよ! シャンタク!」
 デモンベインの背中に装着された翼から魔力のフレアが迸る。だがわずかに間に合いそうもない。
「妾の力をなめるな! そのような下等な魔道書、妾の介入の前には無力ぞ!」
 アル・アジフが『魂の射出』へ介入を試みる。この程度の操作は自らの指をわずかに動かすほど容易な――はずだった。
「な、なに――! ずいぶんと粗雑だがこの攻性プロテクト……落とし子の仕業か!」
 脆弱なはずの魔道書。だが『外なる神』の落とし子がそれに介入しているとすればその力を侮ることはできない。もちろん記述にない魔術を行うことは不可能だが、単一の機能を相当に強化することは可能であり、この場合においてその機能とは、『アストラル体の転送』と『自己防衛』だ。
「くっそ、このままぶち込んでやる!」
 アルの介入によって僅かながらスピードの衰えた落とし子に追いついたデモンベインは、右掌を突き出して無理やりに必滅の術式を撃ち込もうとする。
「―――! まずいぞ九郎、制御が追いつかぬ!」
「なにぃ!?」
 アルの言葉を裏付けるかのように、九郎の回りのコンソールが次々に赤く染まり、出血するかのように目にも鮮やかなエラー表示を競って点滅させ始めた。
 たった一瞬のことではあったが、ナビゲーターであるアルが機体制御から意識をそらし、しかも動揺してしまったことからデモンベインに異常な負荷が生じている。通常時ならばともかく、高密度の情報と魔力を逐一処理しなくてはならない術式の最中だったことが災いしたのだ。
 呪法の制御が生半可では、それを放つデモンベインが深刻なダメージを受けるだけではなく、周囲のかなりの範囲に重大な被害が及んでしまう。最悪の場合、デモンベインは消し飛び、周囲数キロがその道連れになるだろう。
 瞬時の取捨選択。強引に必滅の術式を放ち、周囲数キロメートルとデモンベインを道連れによくて相討ちを狙うか。必滅の術式を破却し、地道で確実な手段を模索するか。
「ヒラニプラ・システム強制遮断! このまま追っかける!」
 九郎が強引に実行中のプログラムを破棄する。重力の塊は消滅、送信されたナアカル・コードはキャンセルされヒラニプラ・システムに再びロックがかかる。そのかわりに周囲のモニターから赤いエラー表示が消えて青とグリーンに輝く。幸い、ヒラニプラ・システムにも損傷はない。システム・オールグリーン。
「待ちやがれえぇぇぇ―――!」
 バルザイの偃月刀を顕現させて落とし子を追う。落とし子に一太刀浴びせた瞬間――デモンベインは落とし子とともに門に呑まれた。




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